24時間オープンのハンバーガーショップでパソコンを打っていた時のことだった。裁判所に提出する書面を締切り間際に夢中で作っていた。午前1時を回っていたと思う。
「これどうぞ」
突然、見知らぬ青年が帰り際に私のテーブルになにかドリンクを置いて行った。びっくりして、「えっ、なんですか?」と言ってしまった。20半ばと思われるその青年は振り返って、「どうぞ、よろしかったらお飲みください。プレセントです」と笑顔で返してくれた。
「あ、どうも」
よく意味がわからなかったが戸惑いながら会釈すると、彼は安心した様子で店を出て行った。
「いったいなんだろう? まさか毒でも入っていないだろうか」。一瞬そんな失礼な疑惑が頭をもたげながらも、善意を信じて恐る恐る一口飲んでみた。おいしいジンジャーエールだった。その冷たさがお腹に浸み込むと同時に、その青年の気持ちの温かさが心の中に広がった。
すがすがしい思いに浸りながら、「なぜだろう?」としばらくあれこれ考えた。「友達が来なかったので、一つ余ってしまったのだろうか?」「郷里にいる自分の父親を思い出したのだろうか?」「深夜までハンバーガーショップでパソコンを打っているオジサンに同情してくれたのだろうか?」「夢中で仕事をしている男の姿に共感したのだろうか?」
そのうち理由はどうでもよくなった。なんとなく思いついて、特に理由もなく善意でやってくれたのだろう。親切な青年の笑顔が心に焼きつく。日本の未来に明るい希望を持つことができた瞬間だった。
あれから2年以上経つが、今でも彼の笑顔を思い出す。そのたびにとてもすがすがしい気持ちになる。彼の善意が今でも私の心の中に生きている。
先日、繁華街の交差点で地図を見ながら行先に迷っている人を見かけた。いつもなら通り過ぎていたところだが、ちょっと気になって「どこに行くんですか?」とたずねてみた。ちょうど私の行先と同じ方向だったので途中まで一緒に歩いて案内したら、非常に感謝され何度もお礼を言われた。
「これどうぞ」
ふと思いついて、持っていた文庫版の新約聖書を別れ際に差し上げた。「えっ、なんですか?」とけげんな顔で聞かれたので、「人生最高の道先案内書です。ぜひ読んでください。プレゼントです」と笑顔で返した。
「そうですか、ありがとうございます。必ず読みます!」。その人は聖書をバッグに入れると、喜んで去っていった。
気が付いたら、無意識のうちに私はあの青年と同じことをやっていたのだった。私が道案内をした人も、いつか他の人に善を行うのではないだろうか。一つの小さな善意が愛の波紋になって大きく広がっていく思いがした。
―「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか」(ガラテヤ6章9、10節)
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佐々木満男(ささき・みつお)
国際弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。インターナショナルVIPクラブ(東京大学)顧問、ラブ・クリエーション(創造科学普及運動)会長。
■外部リンク:【ブログ】アブラハムささきの「ドントウォリー!」