テルトロの訴えとパウロの弁明
使徒の働き24章1節~21節
[1]序
前回、私たちは使徒の働き23章11節を中心に、パウロがカイザリヤに着いた意味を味わいました。
23章33節から26章32節までは、パウロがそのカイザリヤに留め置かれた期間の記事。まずパウロがローマの総督ペリクスの面前で、裁判を受ける場面を注目したいのです。1節から9節までには、大祭司アナニヤを代表とする原告団の弁護士テルトロの訴え、10節から21節には、それに対するパウロの弁明を見ます。
[2]テルトロの訴え
(1)総督ペリクスに対して
①ペリクスへの賛辞
裁判官に対する賛辞は、当時演説の慣例であったようです。10節後半に見るように、パウロも在職6年に及んだと言われるペリクスに、長年に渡る裁判活動の経験に基づき公正で確かな裁判をなしうると期待を表明しています。しかし問題は、テルトロの賛辞が事実に基づいているかどうかです。
②ペリクスの実像
ローマの歴史家は、ペリクスについて、「奴隷の心情で王権を行使した」と述べていると言われます。余りの強圧的な統治のため、ユダヤ人たちがローマに訴え、ペリクスは総督の地位を追われたと言われます。
使徒の働きにおいても、23章35節、「『あなたを訴える者が来てから、よく聞くことにしよう』と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた」と、裁判を積極的に始めようとしない態度とも取れますし、何よりも24章26節、「それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った」と、ルカは明らかにペリクスを非難しています。このようなペリクスの実像を、テルトロは2節と3節に見るように美化しているのです。
(2)パウロに対して
テルトロはパウロに対して、何と訴えているのでしょうか。23章29節、「その結果、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました」に見た、千卒長ルシヤの言葉と全く逆の主張をなしています。
①政治的側面
5節、「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます」と、ローマに対する反逆を含む政治的課題が直接の問題になっています。しかもローマ帝国全体に渡り離散するユダヤ人の間に広がる世界的な政治運動だと言うのです。
②宗教的側面
パウロがエルサレムの宮を汚したとテルトロは訴えます。この訴えは、千人隊長ルシアの干渉を停めさせ、パウロを自分たちユダヤ人に引き渡し、自分たちの宗教的習慣に従い処置することを認めよとの主張を含みます。
[3]パウロの弁明
パウロの弁明も、ペリクスに対する呼び掛けで始まります。しかしテルトロの場合のように無批判な美化ではなく、ペリクスの総督在位期間の長さを根拠とする当然な期待を述べています。
続いてテルトロの訴えに対して、パウロは事実に基づき弁明していきます。
(1)パウロが拒絶、訂正していること
反ローマの政治活動を大きな規模でなしているとのテルトロの訴え。これに対して、パウロは「お調べになればわかることですが」(11節)と、ペリクスが直接調査し判断することのできるエルサレムに限り、テルトロの訴えがいかに根拠のない事実無根なものであるかを明らかにします。
13節に見るように、「いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができない」と、テルトロの訴えの中で、政治的側面に関係する事柄をパウロは鋭く拒絶します。
また宗教的側面の訴えに対しては、エルサレム訪問の目的を明らかにし(17節)、事実はこうだと積極的に訂正しています。さらに18節の後半では、「アジヤから来た幾人かのユダヤ人」のことをあげ、騒ぎの張本人がだれであるかを示し、彼らがこの法廷に姿さえ現さない事実を指摘。
(2)パウロが肯定、主張していること
14節、「しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています」と、パウロは自らがキリスト者であり、キリストの教会の一員であることをどのような言い方で表現されようとも大切な事実として受け止め肯定しています。
さらに15節に見る積極的な主張、「また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております」。その要点は聖書に基づく神礼拝と復活の信仰。
[4]結び
パウロは、どこまでも事実に基づいて弁明をなしています。
テルトロの訴えに対して事実に基づいて偽りを拒絶し、事実に基づいて訂正し事実関係を明らかにしています。
同時に、テルトロの訴えを手掛かりに、自らの信仰を積極的に言い表しています。
◇
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。