そこでパウロは
使徒の働き23章12節~22節
[1]序
今回は、使徒の働き23章12節から22節まで比較的長い箇所を味わいます。
まず11節と12節以下の鋭い対比に注意。
11節は、主イエスがパウロに直接語りかけられた約束の言葉です。使命は必ず遂行されるのです。実に恵み深い励ましの言葉です。ところがその直後12節以下では、ほとんどぶっきらぼうな調子で、パウロ殺害計画を伝えています。
この鋭い対比を通し、主イエスの約束はどのような経過を経て成就していくか明らかにされます。そうです。主イエスがパウロに委ねた使命は、とても厳しい困難を通してなおも遂行されて行く。これが基本です。
12節を読み進めて行くと、パウロ殺害計画がいかに厳しいものであるか私たちの心に迫って来ます。この困難な状況の中で、11節に見る主イエスの言葉にとどまるパウロがどのように生かされていくのか、17節、「そこでパウロは、百人隊長のひとりを呼んで、『この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから』と言った」に注目しながら、これからの歩みに備えます。
[2]パウロ殺害計画の厳しさ
(1)著者ルカの強調
12節以下の記事には、すぐに気付く特徴があります。パウロ殺害計画を何回も繰り返し記述し強調している事実です。
たとえば、12節から15節では、パウロ殺害計画をテレビに映すように描いています。
16、17節では、この計画をパウロの姉妹の子が耳にし、それをパウロに伝えるのです。パウロ殺害計画が逐一報告されます。
19節から22節では、パウロの姉妹の子がこの計画を千人隊長に伝えている様を描写しています。
30節では、千人隊長ルシヤが総督ペリクスへの手紙の中で、殺害計画を記述していることを明らかにしています。
34節は、パウロ殺害計画を記述するルシヤの手紙を総督ペリクスが読む場面です。
以上のように、これでもかこれでもかと、ルカはパウロ殺害計画を登場人物を変え、場面を移行させながら繰り返し描いています。この繰り返しの方法は、記事を読む者の心に計画がいかに深刻なものであるか刻み付ける巧みな方法なのです。
(2)殺害計画の内容
では、パウロ殺害計画は、どのような内容を含むのでしょうか。
まず第一に12節と13節を注意。パウロ殺害のため、生命を投げ出す四十人以上の人々がいたのです。この計画は単なる机上の空論ではなく、その遂行を真剣に求め、そのため本気で事にあたる人々が四十人以上もいたのです。
そればかりでなく、この四十人以上の人々は計画遂行のため、祭司長や長老たちの協力を求めるのです(14節)。今やパウロ殺害計画は、一部の人々の間でひそかに押し進められるばかりでなく、幅広い協力体制を整え、着実に実行されようとしているのです。
しかし皮肉にも、幅広い協力体制は、同時にこの計画が外部に漏れるきっかけを多くしたのです。どのような経過によってかはルカは詳しい点には触れていません。しかし、「ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし兵営に入ってパウロにそれを知らせた」(16節)と、要点を記しています。
[3]「そこでパウロは」
(1)パウロの状態
殺害計画の一部始終を伝え聞いた時、パウロはどのような状態にあったのでしょうか。彼は、ローマ軍の兵営の中で軟禁状態にあったのです。身に迫る殺害計画の前に、全く無力に見えます。しかしこうした状態の中で、11節に見る主イエスの言葉をパウロはしっかりと心に刻んでいたのです。11節と12節以下の鋭い対比は、パウロの状態を正確に伝えているのです。
①厳しい殺害計画の前で全く無力な姿、これがパウロの現実です。
②しかし同時に、このパウロは11節に見る主イエスの言葉を聞き、その言葉により支えられているパウロでもあります。
パウロは、この二つの側面のいずれも現実である状態の中で生かされているのです。
(2)パウロの機会
以上の状態にあるパウロが、姉妹の子を通して、自分の身に迫ってくる殺害計画を正確に知る機会を与えられ、その事実が困難な情況の中で、そこから脱出する機会となったのです。パウロの甥がどんな人物かルカは何も伝えていません。パウロに対する親族の情からこのような行動をなしたのか、一切は不明です。
しかしはっきりしている事実は、パウロに与えられている脱出の機会が必ずしも奇跡的な方法によるとは限らない点です。一人の平凡な人物を通し、主なる神はパウロのために、「脱出の道も備えてくださ」(Ⅰコリント10章13節)るのです。
(3)パウロの判断
パウロは与えられた機会・チャンスを見逃しません。
「そこでパウロは」とあるように、報告を聞いた際、パウロは的確な判断をなします。身に迫る厳しい殺害計画から逃れるために、千人隊長が鍵を握っていると見抜くのです。そして幾人かいた百人隊長の中で、この人こそと判断した上でしょう、「百人隊長のひとりを呼んで、『この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから』と言った」(17節)のです。千人隊長がどれほど好意的であったとしても、その千人隊長のもとに青年を連れて行くためには、最もふさわしい百人隊長を的確に選ばねばならなかったのです。
確かにパウロは兵営に軟禁状態にされていました。しかしパウロは、自分の置かれていた状態に絶望してはいないのです。11節に見る、主イエスの言葉に支えられる者として、この事態を解決へと導く人物を見定め、その千人隊長のもとに青年を手引きする百人隊長についても、誰が適任か判断するのです。
11節に見る、主イエスの言葉に支えられ生かされるパウロ。彼はじっと何もしないのではないのです。機会を生かし的確な判断を重ね、置かれた困難な状況の中で進むのです。これこそ、主イエスの言葉に支えられて生かされる者の生き方なのです。
[4]結び
パウロは、11節に見るように、主イエスの言葉を聞いたのです。
しかし同時に、12節以下に見るように、困難な状態に直面します。そのような中で機会を与えられたのです。「そこでパウロは」なのです。11節、12節以下、16節その一つ一つを踏まえた上での、「そこでパウロは」なのです。
私たちも、聖書を通して主イエスの約束を聞き、私たち各自に対する使命を悟る必要があります。しかも主イエスの約束に立ち、使命遂行を確信する信仰の道を進む日々は、安閑とした生活・生涯を意味しない。厳しい現実の中で、使命・役割は担われて行きます。
使命を果たして行くためには、自分が置かれている立場がいかに厳しいものであっても、望みを絶たないのです。必ず道は開かれ、機会は与えられるのです。
その与えられた機会を見逃すことなく、的確な判断をなす必要があります。「そこでパウロは」。私たち各自も、「そこでなんの某(なにがし)は」と、主イエスを信じ従う者として、的確な判断と機敏な行動を求められるのです。こうしたパウロ、こうした私たち一人一人。
そうです。私たちの教会を通してさえ、主イエスの約束は成就し、使命は遂行され、役割は担われるのです。驚くべき恵み。そこでこれからの歩みは。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。