宮で祈っていますと
使徒の働き22章1節~21節
[1]序
今回は、使徒の働きの新しい章・22章に進みます。そして最初の1節から21節に見る、エルサレムの民衆に対するパウロの「弁明」(1節)を味わいます。
21章27節以下に見たように、アジアから来たユダヤ人たちが全群衆を煽り立て、パウロがイスラエルの民と、律法と神殿に逆らうことを「至る所ですべての人に教えている」(28節)と訴えました。
さらに、「ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしてい」(28節)ると、火に油を注ぐ言い掛かりをつけました。その結果、エルサレムが大騒ぎになり、目を光らしていたローマ軍の出動を招き、パウロを逮捕。
しかしこのような事態に陥ってもパウロは簡単に諦めず、ローマ軍の指揮官千人隊長に執拗に願い出、「この人々に話をさせてください」(39節)と訴え続ける姿を見ました。
今回味わう箇所には、開かれた機会にパウロが全力全霊をつくしてなす弁明をルカは記録しています。パウロの弁明の内容は大きく見て、パウロの回心までと回心後に二分できます。
パウロの出生、幼年時代、受けた教育、教会の迫害者としての姿、そしてダマスコ途上での経験。これらが弁明の前半に含まれている回心前の事柄です。
後半は、ダマスコでアナニアを通しパウロに語られた事柄。さらにエルサレムに戻り、宮で祈っているパウロに、主イエスが確認なさった異邦人宣教の使命を中心にしています。
[2]回心まで(3~11節)
3節以下に見るパウロの弁明はパウロの証と呼ぶべき内容で、その大部分は事実の描写でルカがすでに今までの記述で明らかにしています。また26章でも、アグリッパ王に対する弁明として記録されています。このように使徒の働きにおいて、パウロの弁明の内容を三度までルカが記録している事実は、この内容をルカがいかに重視しているかを明示しています。
(1)パウロの出生、教育
パウロは、「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人です」(3節)と、自らの出生ついて誇りをもって語り、「この町で育てられ」と続け、かなり早い時期、恐らく幼児期にエルサレムに移り住み、そこで育てられたことを明らかにしています。
何よりも、「ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け」(3節)た事実を強調しています。律法の学びのために、パウロは本格的な訓練、そうです、10代の後半から20代のかなりの時期まで、厳格な教育を受けたのです。
このような経験が、後のパウロ、信仰により義とされる恵みを受け入れ、これを宣べ伝えるパウロにとりどれほど重要な意味を持ったか、彼の手紙を通して確認されます。
一般的に言って、若い時に重い義務を負い訓練を受けることは、幸いです。
教会の各自が、それぞれの持ち場・立場で専門家、-例えば専業主婦として-厳格な訓練を受け、その厳しさの中で真実な神の慰めを受けたいものです。
いずれにしても、10代後半から20代前半の大切な時期を、生ぬるさの中で時を過ごしてしまうなら、主なる神の御前に真に申し訳ないことです。
伊芸満君の前夜式で味わった(エレミヤ)哀歌3章25~32節をお読みします。
主はいつくしみ深い。
主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
主の救いを黙って待つのは良い。
人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
それを負わされたなら、
ひとり黙ってすわっているがよい。
口をちりにつけよ。
もしや希望があるかもしれない。
自分を打つ者に頬を与え、
十分そしりを受けよ。
主は、いつまでも見放してはおられない。
たとい悩みを受けても、
主は、その豊かな恵みによって、
あわれんでくださる。
(2)教会の迫害者として
パウロは、先祖の律法についての厳格な教育を受け、律法に反する動きと判断するものなら、これを黙認できないほど激しいものです。
律法を守り行うことによる救いはなく、主イエスを信じる信仰を通し、神の一方的恵みによって義とされると宣べ伝える教会を徹底的に迫害する道へ突き進むのです(4節、参照・9章1、2節)。
(3)ダマスコ途上での経験
次に6~11節では、パウロの生涯における決定的な経験・ダマスコ途上での復活の主イエスとの出会いを描き、特に主イエスのことばとパウロの応答を一言一言印象深く刻んでいます。
ここでも、注目すべき点は、主イエスご自身がまず「サウロ、サウロ」(7節)と呼び掛けておられる事実です。パウロが探し求め、尋ね出したのではない。主イエスが先手を取り、恵みの待ち伏せをし、パウロに語りかけ、彼の生き方を根本から変えてくださったのです。
パウロは、ここでダマスコ途上での経験すべてを詳しく語っているわけではありません。
しかしその中心点を、「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか」(10節)と、主イエスの御前に全き服従をなしている自らの姿を描き伝えています。自らの願望や計画ではない。
主なる神のご計画・御旨を第一に求める生き方、「神の国とその義とをまず第一に求める」(マタイ6章33節)生き方、回心したパウロの生き方であり、私たちの生き方でもあるべきです。
[3]回心後(12~21節)
(1)アナニヤの訪問・指示
パウロのダマスコ途上での経験。これは、いかにも驚くべき経験でした。しかしそれがすべてではない。全き服従をもって応答するパウロに対して、「主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました」(10節)とパウロが告げるように、主イエスは命じておられます。この命令に従いダマスコに到着したパウロを、主の忠実なしもべ・アナニヤが訪問します。
「律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤ」(12節)と紹介されています。パウロ自身がそうであったように、アナニヤは律法を軽んじるような人では決してないのです。
アナニヤは、回心したパウロに、主なる神がどのような使命を与えておられるか明言します(14、15節)。使命を果たして行くために基盤となる、パウロ自身の罪の赦しについても、アナニヤは、「その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい」(16節)と、的確な指示を与えます。
(2)エルサレムの宮にて、主イエスの指示
17節以下の記事は、大いに注目すべきです。9章、26章に記録されていない、22章特有の報告なのですから。
主イエスの御旨は、主の忠実なしもべアナニヤを通してパウロに伝えられました。パウロは、「すべての人に対して」(15節)主イエスの証人とされたのです。パウロは、この責任をエルサレムで同胞に対して果たすべきと信じ備えをなしていたのです。
このように考えると、17節、「こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり」は、前後と無理なく結びつきます。
しかし今や、主ご自身がパウロに直接語られるのです。その指示は、「主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです』」(18節)と、意外なものでした。そこでパウロは、自らがいかに徹底的に変えられたかの事実を指摘(19節、20節)します。このように過去からの激変を証言するなら、エルサレムの人々も劇的な回心の証に耳を傾けてくれるに違いないと、パウロは自分の思いを告げるのです。
このパウロの応答に対して、「主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす』と言われました」(21節)と、宣言がなされます。パウロの願い・期待に反し、主イエスご自身の御心が明示され、パウロは命令に服従し、異邦人への宣教に従事してきたのです。このように、パウロは、約20年前の出来事について証言しているのです。
[4]結び
パウロの弁明に一貫しているもの、それは、主なる神のご計画がいかにすべてのものに先行するかの一点です。
パウロの経験を通し明らかに浮かび上がってくることは、主なる神中心にすべてが展開している事実の重みです。
パウロに与えられた異邦人への宣教命令。これはパウロ自らの願いや思いつきなどではない。パウロは自らの意思に反してでも、主なる神の御旨に従い、これを実行して行く備えがあったのです。
このような内面のドラマが、エルサレムの宮でパウロが祈っているとき、進展して行ったのです。(参照・11、12章に見る、コルネリオの救いを受け止めるペテロの場合)。
祈りとは、「お話しください。しもべは聞いております」(Ⅰサムエル3章10節)に見るサムエルの祈りであるべき。
その祈りの実践の中で主イエスにある各自の生活・生涯の回顧と展望、群れ全体として。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。