この人々に話をさせてください
使徒の働き21章27節~40節
[1]序
今回は使徒の働き21章27節から40節を通し、エルサレムにおけるパウロの逮捕までのいきさつ、その中での主なる神の導きに注目します。
[2]パウロの逮捕までの経過
(1)アジアから来たユダヤ人の訴え
パウロがエルサレムでロ-マ当局に逮捕されるきっかけとなったのは、アジアから来たユダヤ人たちの訴えです。27節、「ところが、その七日がほとんど終わろうとしていたころ、アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、全群衆をあおりたて、彼に手をかけて」に見るように、アジア、おそらくエペソから来たユダヤ人たちが、パウロが宮にいるのを目撃したのです。
そして二つの点をめぐり、群衆を煽りたてたのです。28節。
①第一はパウロが今までなして来た宣教活動を巡るもので、「この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です」(28節)と訴えています。
この訴えの口実は、ステパノに対する訴えとよく似ています(6章8節以下)。律法に逆らい神殿を汚すことを離散のユダヤ人たちに教え、結局ユダヤ人共同体を内部から崩壊させていると、パウロに対して訴えているのです。
しかし事実は、パウロは律法の成就として、主イエスの御業を信じる信仰を宣べ伝えているのであって、律法に逆らうことを教えているわけではありません(17~26節参照)。
②第二は、今パウロがエルサレムの神殿でなしている行為にかかわる主張がなされています。「そのうえ、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています」(28節後半)と攻撃するのです。
エルサレムの神殿の外庭は、異邦人も入ることを許され、「異邦人の庭」と呼ばれていました。
しかし、そこから内部の中庭には、異邦人は一歩たりとも入ることを許されない。侵入した場合は、死刑の宣告がなされ、それはロ-マ市民でさえ例外ではなかったと言われます。ですから、アジアから来たユダヤ人たちの訴えが本当であれば、パウロは危険な立場に立つことになります。
30節、「そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた」では、まさにそのようなことが起ころうとしている様を、ルカは伝えています。
(2)事実と憶測
しかしここで29節に見る、ルカの説明を注目すべきです。「彼らは前にエペソ人トロピモが町でパウロといっしょにいるのを見かけたので、パウロが彼を宮に連れ込んだのだと思ったのである」と、ルカは説明しています。
パウロが異邦人トロピモといっしょにエルサレムの町を歩いていたのは事実です。そして、今、パウロがエルサレムの神殿の中庭にいるのも事実です。
しかしあの時、パウロがトロピモと一緒だったから、今、神殿の中庭でも、パウロはトロピモといっしょに違いないというのは事実ではなく、アジアからのユダヤ人たちの憶測(「思った」)に過ぎません。
事実と憶測を区別せず混同し、群集を駆り立てたのです。その結果、町全体が大騒ぎになり(30節)、神殿警備官の暗黙の了解のもと、人々はパウロ殺害の行動を開始したのです(31節)。
(3)千人隊長の出動
混乱状態の報告は、直ちに、ロ-マ軍の千人隊長に届きます。
このロ-マ軍は神殿区域の西北に隣接するアントニヤ城壁に駐留していた歩兵隊で、千人隊長は報告を受け取るやいなや、「兵隊たちと百人隊長たちとを率いて」、駆けつけたのです。その効果はすぐに現われ(33節)、一応の秩序が回復した時、千人隊長はパウロを逮捕します。こうしてパウロはロ-マの囚人となりました。
これ以後使徒の働きの記事は、ロ-マの囚人パウロの歩みを描くのです。
[3]逮捕、その中でも
パウロは、ついに、ロ-マの囚人となってしまいます。しかしこのような状態の中でも、注目すべき事態が展開して行きます。千人隊長、パウロのそれぞれに目を注ぎ、考察したいのです。
(1)千人隊長
千人隊長は、彼なりに事実を正確に知ろうと努力を払います(34節、「しかし、群衆がめいめい勝手なことを叫び続けたので、その騒がしさのために確かなことがわからなかった。そこで千人隊長は、パウロを兵営に連れて行くように命令した」)。
彼は、公正な人物です。しかし千人隊長の努力は無に帰するように見えたのです(34節)。けれども困難に直面しながら、千人隊長はすべてを諦めてしまうのではなく、「パウロを兵営に連れて行くように命令した」(34節)のです。時間を費やし、事実を正確に調べようと考えたのです。主なる神は、異邦人である千人隊長を通しても、パウロを守り導いておられます。
(2)パウロ
パウロは困難な事態に直面しても、簡単にすべてを投げ出さないのです。
群衆心理の嵐に吹きまわされ、混乱状態に陥り、自分を殺害しようとしている人々に対してさえ、大変難しい立場にあっても弁明の機会、福音宣教の機会をパウロは求め続け、ついにその実現にいたるのです。テモテに教えていることを(Ⅱテモテ4章2節、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」)、パウロ自身実践しています。
[4]結び
エルサレムの混乱状態や不当な逮捕などの現実の中でも、主なる神はパウロを守り導いておられます。
この事実を確認し、私たちもいかなる事態に直面しても、主なる神の真実を仰ぎ望み前進する決意を新たにしたいのです。
この時、公正を求め続けている異邦人千人隊長が用いられている事実を注目し、私たち自身が公正を求めると共に、公正を求める人物を、その場のいかんにかかわらず、広い意味では、主なる神に用いられている人物として尊敬を払う態度を忘れないようにし。
もう一つ心に刻みたいのは、事実と憶測を混合しないことです。
何が事実で、何が憶測かを明確に区別し、人に話し、そのように人の話を聞くべきです。事実と憶測を混同して人を煽りたてない、またどのように巧みな方法によっても煽りたてられない覚悟をなすべきです。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。