カイザリヤに着き
使徒の働き23章23節~35節
[1]序
今回は、使徒の働き23章23節以下を味わいます。まず今までの部分との結び付きを確かめます。
23章11節では、主イエスがパウロに語りかけなさった大切なことばを見ました。それとの鋭い対比で、12節から22節では、四十人の死を覚悟した人々を中心に、パウロ殺害計画が立てられた次第を描いています。
私たちは17節の「そこでパウロは」を手掛かりとして、厳しい状況の中でも与えられた機会を見逃さず、パウロが的確な判断と敏速な行動をなす姿を印象深く味わいました。
そして今回の23節以下です。ここでは事態の鍵を握っているとパウロが見抜いた千人隊長ルシヤの行動にルカは目を注ぎます。ルシヤの判断、命令、その実行と小気味良い描写が続きます。
押し迫る殺害計画、その現実の中でパウロは異邦人ルシヤを通し守られるのです。エルサレムで主の証しをなしたパウロ。ローマでも主の証しをなすため使命を委ねられているパウロ。そのパウロが、エルサレムからカイザリヤに護送されるのです。この一連の動きの中で千人隊長ルシヤが果たす役割、またパウロがカイザリヤに着いた意味を思い巡らします。
[2]千人隊長ルシヤ
(1)ルシヤの判断、命令
20節と21節に見たように、パウロ殺害計画をパウロの姉妹の子を通して聞くと、千人隊長ルシヤはこの計画がいかに危険なものであるか見抜き、緊急の処置を取る必要があると的確に判断。パウロの姉妹の子には、「このことを私に知らせたことは、だれにも漏らすな」(22節)と命じ、パウロ殺害計画に対抗する行動を注意深く押し進めて行きます。彼はことの重大さを悟り、エルサレムに駐屯しているローマ軍を、最も危険な地域であるアンテパトリスまで派遣、そこから七十人の騎兵にパウロの護衛を命じたのです(31、32節)。「今夜九時」(23節)と、時を移さず敏速な行動を取れたのは、千人隊長ルシヤが普段から忠実に訓練を重ねる優れた指導者であった事実を示しています。
(2)ルシヤの公文書
ルシヤは警備上の備えをなすと同時に、総督ペリクスに向け、26節から30節に見る手紙・公文書を書き送るのです。
この手紙を読むと、ルシヤが的確な事実判断をなし、わかりやすい報告を書く事務能力にも優れている人物との印象を受けます。さらに、「彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました」(29節)と、自分の意見をはっきり示し、総督ペリクスがパウロを調べる際、自分の意見が生かされるように願っている様も浮かんで来ます。
(3)ルシヤの役割
パウロが殺害計画を逃れ、無事エルサレムを脱出し、やがてローマで主を証しする使命を果たすため、ルシヤが大切な役割を担っている事実は、私たちの目を引きます。主なる神を認めようとも信じようともしないルシヤが、主なる神のご計画成就のために用いられています。
[3]カイザリヤに着く
23章11節に見るように、主イエスのみことばを通して、エルサレムで主の証しをなしたと励まされ、ローマでも主の証しをなすと使命を確かなものとされたパウロ。このパウロがカイザリヤに着いたのです。これは、一体どのような意味を持つのでしょうか。
(1)使徒の働きにおけるカイザリヤ
今まで使徒の働きを読み進めて来る中で、カイザリヤの町は何回も重要な場面で、その名を記録されていました。幾つかを思い出してみたい。
①8章40節。カイザリヤは、サマリヤ伝道やエチオピア伝道とかかわりを持つ、異邦人への伝道者により開拓伝道が進められた場所として登場しています。
②10章1節、カイザリヤのコルネリオについての記事。その中でコルネリオについてのペテロの証しにより、エルサレム教会の人々は異邦人の救いについて確信するようになったのです(11章18節)。
③21章7~14節。19章21節に見るように、パウロは聖霊ご自身の導きにより将来の宣教活動に関し大きな展望を与えられます。それはエルサレムに行くことであり、ローマを見ることです。この目標を持ちエルサレムへ上る途中、パウロがカイザリヤを訪問したのです。
(2)今、カイザリヤに
使徒の働き全体を通して、異邦人伝道とのかかわりで重要な位置を占めているカイザリヤ。今、パウロはこのカイザリヤにローマの囚人として着いたのです。交通の要路を押さえていたカイザリヤは、パレスチナ地方全体におけるローマ統治の要で、ローマ総督とその軍隊がここに駐在し、政治的また軍事的にはエルサレムを圧倒していました。このカイザリヤに、今、パウロは着いたのです。
パウロは総督ペリクスの下で監禁され、ある程度の自由を保証されてではありますが(24章23節)、2年間も放置されたのです(24章27節)。
しかしこのカイザリヤで、パウロは、総督ペリクス(24章11~21節)、総督フェスト(25章6~12節)、アグリッパ王(26章2~23節)の面前で弁明をなす機会を持ちます。ローマ総督の面前で弁明するのは、「カイザルの法廷に立っている」(25章10節)のであって、ローマでカイザル(皇帝)の前に立っても、同じことを宣言するとはっきりした自覚を持っていました。
[4]結び
エルサレムでの証しからローマでの証しへ。この基本線を導かれる者として、パウロはエルサレムからカイザリヤに着いたのです。カイザリヤで、パウロはローマでなすべき証しを前もってなしています。しかもその戦いは、カイザリヤで2年間も放置されたままとの側面をも含みます。
パウロが使命を果たして進み行く時、23章23節に見るように、「今夜」と一夜で事態が激変する場面を通過する時があります。また24章27節にまとめられているように、2年間も放置されたまま、ひたすら主なる神を待ち望み続ける側面もあります。
私たちの歩みも同じです。激変と、見た目には放置と思われる中での待ち望み。この両面を持つ日々を送り、その中で主なる神から私たちに委ねられているそれぞれの使命を果たし続けたいのです。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。