神殿の幕は真っ二つに
ルカの福音書23章44~49節
[1]序
今回は、ルカの福音書23章44節から49節、主イエスの十字架上での死とその意味を描く印象深い場面に注意を払います。
[2]「神殿の幕は真っ二つ」(45節)
ルカは、主イエスの十字架の死に伴う、二つの出来事を記しています。
(1)「全地が暗くなって、三時まで続いた。太陽は光を失っていた」(44、45節)。暗闇がその地域を三時間に渡り被う。その理由として、「太陽は光を失っていた」と説明。
(2)「神殿の幕は真っ二つ」
神殿の幕については、神殿への入り口の幕(出エジプト記26章36節、38章18節)か神殿内部の至聖所との境の幕(出エジプト記26章31節以下)を指す。
この出来事は、紀元70年のローマ軍による神殿破壊を予表。さらにヘブル9章1~15節参照。
[3]主イエスの十字架での死の意味
(1)「父よ。わが霊を御手にゆだねます」(46~49節)
信頼の祈り。
「私の霊を御手にゆだねます。
真実の神、主よ。
あなたは私を贖い出してくださいました」(詩篇31篇5節)
敬虔なユダヤ人の夜寝る前の祈りとして。最後まで、父なる神への深い信頼をもっての祈り。
「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった」(ヨハネ19章30節)
十字架の罪人への約束、同時にエルサレムへの警告と執り成し。
「そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した」(マタイ27章26節)
「そして、三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは訳すと『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(マルコ15章34節)
罪人の身代わりとしての死が明らかにされている。
(2)人々の応答
①百人隊長、神をほめたたえ(47節)。
「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『この方はまことに神の子であった』と言った」(マルコ15章39節)
②群衆、感情を態度で表す。
③主イエスの知人たち(ヨハネ19章25節参照)と、ガリラヤから主イエスについて来ていた女たち(埋葬、復活の場面で大切な役割)。
[4]結び
主イエス・キリストの十字架の死の意味。
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」(Ⅱコリント5章21節)
私たちも神をほめたえつつ、それぞれの場で歩みを。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。