わたしとともに
ルカの福音書23章32~43節
[1]「もうひとりのほうが」(40~42節)
(1)「また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった」(マルコの福音書15章32節)
(2)「もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った」(40節)
「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言っている仲間に対して。
①自分自身について。自分たちに対して下った厳罰を正当なものと受け入れる。「われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ」
②主イエスと自分たちの違い、主イエスの無罪を認めている。「だがこの方は、悪いことは何もしなかった」
(3)主イエスに対して
仲間の主イエスに対するののしりをたしなめるだけでなく、主イエスを救い主と信じ、待ち望む。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」(42節)
十字架の主イエスをメシア・救い主と信じる。十字架が終わりではなく、「御国の位にお着きになるとき」と、主イエスが救いの御業を完成なさるときを待ち望む。
「主よ。あなたが御民を愛されるとき、私を心に留め、
あなたの御救いのとき、私を顧みてください。」(詩篇106篇4節)
[2]「イエスは、彼に言われた」(43節)
(1)この人の信仰を認めてくださる。
(2)主イエスの約束
①「今日」
ルカの福音書に見る「今日」の重要性。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(2章11節)
「イエスは人々にこう言って話し始められた。『きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました』」(4章21節)
「人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、『私たちは、きょう、驚くべきことを見た』と言った」(5章26節)
「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから』」(19章5節)
②「わたしとともにパラダイスに」
[3]結び
中心は、「わたしとともに」。
「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです」(Ⅰテサロニケ5章10節)
主イエスの十字架の贖いの故に。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。