しかし今から後
ルカの福音書22章66~71節
[1]序
今回は、ルカの福音書22章の最後の部分66~71節を22章の締めくくりとして味わいます。
[2]主イエス、議会(サンヘドリン)の前で(66~68節)
(1)場面
主イエスに対するユダヤ人議会(サンヘドリン)による審問の場面は、それぞれの福音書が特徴をもって描いています。ルカは、「民の長老会」との表現で議会を指しています。その構成は、祭司長たち、長老と律法学者(マルコ15章1節)によりなされていました。議長(マタイ26章3、57節、ヨハネ18章24節以下)の役割や証言(マルコ14章)についてルカは直接記していません。
(2)議会の尋問
「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい」(67節)。キリストの称号は、主イエスの受難の記事において大きな役割を演じています。キリスト(メシア)の称号は、当時の人々が理解するように政治的メシアと受け止められるに違いありません。それは、ユダヤ人の王と自称する者として政治問題になり得ました。事実、議会は主イエスについての事柄をローマ総督ピラトの権限に属する政治問題へと意識的にでっちあげて訴えたのでした。
(3)主イエスの答え
主イエスは、当時の人々の考える政治的メシアと混同されないように十分注意して、議会の尋問には、「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう」と直接に答えないで、69節の宣言をなさいます。
[3]「人の子は、神の大能の右の座に」(69~71節)
(1)「わたしはそれです」
「しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます」(69節)と詩篇110篇1節の約束が、主イエス(「人の子」)において成就される事実を宣言なさいます。議会は、この表現の中に、主イエスの「神の子」との自意識と主張を認め、「ではあなたは神の子ですか」との問いを発します。
主イエスは、「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」と力強く確認なさいます。
(2)ユダヤ人たちが主イエスを十字架につけた理由、それは主イエスがご自身について意識し、また宣言なさった事実にあります。
「それでユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。『あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください』」(ヨハネ10章24節)
「ユダヤ人たちはイエスに答えた。『良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです」(10章33節)
「『わたしは神の子である』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している』と言うのですか」(10章36節)
(3)ヘブル人への手紙に見る詩篇110篇の引用
①ヘブル1章13節に見る、篇110篇1節からの引用
「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。
『わたしがあなたの敵を
あなたの足台とするまでは、
わたしの右の座に着いていなさい』」
②ヘブル5章6、10節に見る、詩篇110篇4節からの引用
「別の個所で、こうも言われます。
『あなたは、とこしえに、
メルキゼデクの位に等しい祭司である』」(5章6節)
「神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです」(5章10節)
ヘブル7章17、21節に見る、詩篇110篇4節からの引用。
「この方については、こうあかしされています。
『あなたは、とこしえに、
メルキゼデクの位に等しい祭司である』」(7章17節)
「・・・主の場合には、主に対して次のように言われた方の誓いがあります。
『主は誓ってこう言われ、
みこころを変えられることはない。
『あなたはとこしえに祭司である』」(7章21節)
ヘブル人への手紙において、「人の子」主イエスが現に神の大能の右の座に着く天の大祭司であることを特に明らかにしています。
(4)テトス2章11~14節の味わい
[4]結び
(1)22章63~65節と66~71節の結びつき
全き人になられた、全き神である主イエス・キリスト。この事実を全聖書が明らかにしています。たとえば、ピリピ2章6~11節、Ⅰテモテ3章16節。
「まことにわれらの信仰の奥義は偉大です。『(キリストは)肉にあって現われ、霊にあって義とされ、天使たちに見られ、諸民にのべ伝えられ、世を通じて信ぜられ、栄光のうちに高められたのです」(前田訳)
(2)主イエスが人となり、苦難のしもべとして十字架にかかり贖いをなしてくださった事実と栄光のうちに神の大能の右の座に着かれていることの両方をしっかりと受け止めていくことが大切なことであるように、真理の二つの側面を同時に見る態度、一部ではなく全体を、一面でなく両面を見る姿勢が大切であることを教えられます。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。