三度わたしを知らないと
ルカの福音書22章54~62節
[1]序
今回から4回の予定は以下の通りです。
①ルカ22章54~62節「三度わたしを知らないと」
②ヨハネ21章15~19節「わたしを愛しますか」
③ルカ22章63~65節「一晩中」
④ルカ22章66~71節「しかし今から後」
①と②においては、ペテロが直面した、主イエスに対する二つの関係、主イエスを知ると主イエスを愛する課題が中心です。
私たちにとっても主イエスを知るとは、また主イエスを愛するとはいかなる生活と生涯を意味するのでしょうか。ペテロに私たち一人一人そして群れ全体に問いかけられている主イエスのみこえを聞き分け応答したいのです。
③と④は、使徒信條において、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」、また「天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり」と告白している事実にかかわります。私たちが知り、愛する主イエスはどのようなお方なのでしょうか。主イエスの苦しみと栄光の主イエスのお姿を通しはっきり教えられたいのです。
ルカの福音書22章54~62節で描く場面を、他の福音書でもそれぞれ特徴のある仕方で描いています。各福音書の描写の間には、基本的な一致と細部における違い・特徴があります。ルカ特有の描写として第三回目のペテロの主イエス否認とその直後主イエスのペテロに対する態度・お取り扱いに的を絞りたいのです。
[2]「ペテロは」、ペテロ三度主イエスを否認(54~60節)
背景。54節、「彼らはイエスを捕らえ、引いて行って、大祭司の家に連れて来た」→逮捕とサンヘドリン(議会)による審理(66節以下)の間、主イエスは大祭司の家の庭に連行されたのです。「ペテロは、遠く離れてついて行った」(33節参照)。
(1)一回目の否認
①「すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て言った。『この人も、イエスといっしょにいました』」(56節)。
②「ところが、ペテロはそれを打ち消して、『いいえ、私はあの人を知りません』と言った」(57節)。
(2)二回目の否認
①「しばらくして、ほかの男が彼を見て、『あなたも、彼らの仲間だ』と言った」(58節)。
②「しかしペテロは、『いや、違います』と言った」(58節)。
(3)三回目の否認
①「それから一時間ほどたつと、また別の男が、『確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから」と言い張った」(59節)。ガリラヤ人→ことばのなまり。ガリラヤ地方は、反ローマ抵抗運動の盛んな地域。
②「しかしペテロは、『あなたの言うことは私にはわかりません』と言った」(60節)。頂点、「それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた」(60節)。
[3]「主は」(61、62節)
ルカ特有の生き生きとした絵画的描写。
(1)「主は」(61節前半)
①「主が振り向いて」
7章9、44節、9章55節、10章23節、14章25節、23章28節など。ルカは主イエスが振り向かれる場面を一つ一つ印象深く繰り返し記します。
②「ペテロを見つめられた」
ルカはもう一箇所で、主イエスが見つめられている場面を記しています。20章17節参照。
「イエス御自身がそのまなざしで、この弟子の胸中に御自身の預言をよみがえらせる。・・・イエスは今もペテロを弟子と認めておられる。・・・イエスはペテロに目を注いで、悔い改めに駆り立て、同時にゆるしをお与えになった」(A・シュラッター)
(2)「ペテロは」(61節後半、62節)
①「ペテロは、『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言う』と言われた主のおことばを思い出した」(61節)
②「彼は、外に出て、激しく泣いた」(62節)
悔い改め、本心に帰るペテロ。
[4]結び
(1)私たちをも見つめられる主イエス
次の三つの聖書箇所を味読されることを勧めます。
Ⅰヨハネ2章1、2節
ヘブル7章25節
ヨハネ14章26節、15章26節
(2)私たちの応答は
悔い改めの生涯。みことばと聖霊ご自身により改革され続ける教会。悔い改め本心に帰った者の生活、ルカ15章17節以下に見る祝宴と労働の両方が特徴です。遠く離れてではなく、このお方のまなざしに答えての一歩一歩を。
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。