最近のニュースで、三浦雄一郎さんが、エベレストに史上最高齢で登頂し、体の痛みを嘆いてもおかしくない80歳という年齢で登りきったギャップは、世間を驚かせました。また、小学校6年生の小林凛君が俳人として本を出版し、その名もランドセル俳人。小学生にして大人でも難しい俳句ということが、人々に感動と驚きを与えています。これらは喜ばしいギャップですが、世の中には悲しいギャップもあります。けれどもイエスを知る私たちには、素晴らしい喜びと感動、人生の大きな変化というギャップがあることを心から感謝したいと思います。
今日の聖書箇所の少し前には、ペテロとヨハネが美しの門で足の不自由な男を癒やした記事があります。その出来事はエルサレム中の噂となり大祭司たちは彼らを尋問しました。人々が、どうしてそのようなことが起こりえようか、というような大きなギャップを主は私たちにも与えてくださいます。
1.無学なただ人の大胆さというギャップ
13節に、ペテロたちは無学な普通の人だったとあります。この当時の無学な普通の人とは、今では想像できないほど身分も低く、基本的な人権も命の保証もない小さな存在です。けれども、聖霊が与えられた彼らは、その前に出ればひれ伏すしかないような大変な権威を持つ大祭司たちの前で、大胆に証し始めたのです。読み書きもできないただの漁師が、イエスによって堂々と、人々が圧倒されるような存在感を放ちながら主の働きのために用いられました。神が私たちの人生の中に働かれる時には、ビックリするようなギャップが生み出されるのです。
2.生まれつきの病人が癒やされたギャップ
14節や16節にあるように、説得力のある言葉でペテロとヨハネが語っている横で、あの美しの門にいた足の不自由だった男が今は立っているのを見て、大祭司たちは返す言葉もなく、それを認めるしかありませんでした。神が働かれる時には、人々が驚くような、腰を抜かすような差異、ギャップが生み出されるのです。鍵はどこにありますか? ペテロ、ヨハネは無学なただ人でしたが、イエスが共におられたのです。「見よ。わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいる」とのイエスの約束は、あなたが知っている以上に、とてつもなく大きな祝福なのです。イエスが共にいてくださるから、イエス・キリストの御名によって祈ることができ、事態は変化するのです。そして、最も大きなギャップは、罪人である私たちが、イエス・キリストによって救われるということです。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。