キンモクセイの良い香りが立ち込める爽やかな季節になりました。しかし、あなたの生活の中には、仕事や健康などで気になる問題があるかもしれません。
そんなときこそ第一にすべきものを最初にしましょう。「神様、あなたが一番」と讃美しながら、生活の中では忘れて他のことが一番、礼拝に行くのも二の次になっていませんか? いつもクリスチャンとして生きなければ、神の恵みを十分に受けることはできません。
ここでもう一度、シンプルな信仰の原則に立ち返りましょう。
1.人に従うより、神に従う
祭司長たちを前にしてペテロが「人に従うより、神に従うべきです」と言っています。納得できる人間の理屈や、怒りや熱情という人間の感情ではなく、神に従うというのがクリスチャンの原則です。
祈りの最後に付け加えることは、「でも主よ、私の思いではなく、みこころに従わせて下さい」です。呪われた十字架刑を前にしたゲツセマネの園でイエスも、「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」と祈られたのです。
ペテロたちは、祭司長や律法学者に脅されても神に従ったのです。私たちは、ちょっと嫌な思いをさせられただけで断念していませんか? いろいろな思いを背負っているでしょう。しかし、クリスチャンの原則は常に、「人に従うより、神に従うべき」です。
2.イエスの十字架と復活に立ち返る
とんでもない罪人である私たちを救うためにキリストは死んで下さり、永遠のいのちの保証のためによみがえって下さいました。
どのような厳しい状況の中にあっても、イエスが罪の全てを背負って、私が死ぬ代わりにイエスが死んで、私に命を与えて下さったのだから、私たちは弱くて取るに足らない者でも十分に生きる価値があります。私たちは、イエスによって、全てから解放されているのです。
30~31節を「私」と読み替えてみましょう。イエスを十字架に架けたのは、私の罪です。私の罪の身代わりにイエスは死に、よみがえられたのです。この出来事を他人事で終わらせている間は、信仰の恵みは絶対に自分のものにはなりません。
3.キリストの証し人である
32節に「私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」とある通り、私たちは自分の人生を通してキリストを証しするのです。そのために、聖霊が力を与え、御業をもって証しさせて下さるのです。
あなたの存在が、周りの人々に救いの喜びとして伝わっているでしょうか。キリストの愛を笑顔で伝えましょう。ペテロたちは、人々を救いに導くために、このシンプルな原則を変えませんでした。
十字架の福音の原則に立ち、聖霊によって証し人として生かされる人生を歩みましょう。弱くても大丈夫、弱いからこそ聖霊の恵みがあるのです。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。