スペイン北東部のボルハという田舎町のカトリック教会の、キリストの絵の修復が世界中で話題になっています。描かれてから約100年が経ち、劣化が進んでいたフレスコ画を修復したのは、“自称画家”の80代の女性。茨の冠をかぶって天を見上げるイエス・キリストの絵が、まるでサルのようになってしまい、史上最悪の修復と呼ばれていますが、その絵は話題となり、そのままの方が面白いと言い出す人までいます。私たちプロテスタント教会では神を形あるものにしてはいけないという伝統がありますので関係ありませんが、そのカトリック教会の信者からすればとんでもない話です。
しかしそもそもの問題は、“修復の専門家”ではなく、“自称画家”に依頼してしまったことです。同じ轍を踏まないために、人生の問題は“自称カウンセラー”ではなく、私たちの命を創られた“真の神”に祈り求めようではありませんか。
今回の箇所は、ペテロが初めて語った説教です。この時までは、弱くて証人として語ることなどできなかったペテロです。そのペテロや弟子たちが、聖霊を注がれた時から変えられたのでした。そのことをペテロが大勢の人々の前で証ししているところです。この同じ聖霊の恵みは私たちにも与えられています。イエス・キリストの十字架がもたらす恵みがあるのです。
1.主のよみがえりの恵み
恵みの1つは、十字架の上で私たちの罪を贖われたイエスが、死の力を打ち破り、よみがえられたことです。その事実を実際に目で見ながらも、恵みの力はペテロの心に響いてはいませんでした。しかし、聖霊が注がれた時、イエスの復活が魂にまで響いてきたのです。ペテロは、イエスが死を打ち破られたということが、私たちを襲う死の恐怖、死んで全てが終わるという絶望から解放し、そのよみがえりの命はどんな不可能も可能にするということを確信したのです。32節「神はこのイエスをよみがえらせました」。主のよみがえりの恵みは、実際に復活を見た弟子たちによって今私たちにまで伝えられ、それを知る私たちもその恵みの証人となるのです。24節「…この方が死につながれていることなど、ありえない…」と記されているように、死の力でさえもイエスに打ち勝つことはできないのです。私たちには、死の力よりも強い本当の救いがあり、解放があります。だから喜びが溢れて当然なのです。
2.天から注がれる聖霊の恵み
イエスの御業は十字架と復活で終わるものではありません。神が与えてくださる永遠の命があることを証明してくださり、天に昇られたイエスはそこから私たちに聖霊を注いで下さいます。ペテロも33節「今あなたがたが見聞きしているこの聖霊」と人々に自分の変えられた姿を通して、聖霊が注がれると、こんなにも変えられるのだと証ししています。私たちの力の限界を超えた可能性が与えられるのです。十字架を思うとき、悲しむのではなくて、イエスの復活の恵み、聖霊が注がれる恵みを感謝して自分のものとして受け止めて歩みたいと思います。よみがえりのイエスがあなたと共にいます。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。