2012年の終わりに向けて私たちの信仰をもう一度磨き上げ手入れし、はっきりとした聖霊の体験をしましょう。私たちに語りかけ、働きかけてくださる神は、弱くて迷っている時にも、最善の方法で助けてくださいます。
イエスは復活され天に昇られる前、弟子たちに聖霊の約束をしてくださいました。しかし、弟子たちはイエスの復活、御業を目の当たりにしながらも、聖霊が与えられるまでは、証人として欠点や不足の多い者でした。
私たちはどうでしょうか。クリスチャンでありながらも、信仰生活がぼやけて、神の力を受けずに過ごしてはいませんか。今回の物語を通して、信仰生活の気づきを得て、聖霊の体験をしたいと思います。
1.ある日ある時の明確な体験
この物語での聖霊の体験は、「五旬節」になって「みなが一つに集まっていた時」とはっきり明確な日時が書かれています。「あの時代」「あの頃」というように漠然とは記されていません。そしてこの体験は、弟子たちだけではなく、一緒にいた人々も体験し、誰も否定することができないものとなったのです。誕生日を聞かれると、何月何日どの町で生まれたか明確に答えられますよね。それは否定することのできない、はっきりとした命が生まれた日であるからです。同じように、聖霊の体験も明確なものなのです。
2.通常の霊ではない神の霊
日本にはよろずの神々が伝えられていて、「霊的」と聞くと、心霊とかオカルト現象と思いがちですが、それとは違います。もし私たちを不安に陥れようとする悪霊が少しでもあると感じる時には、私たちを救う神の霊、真理の御霊、聖霊の働きがあることをしっかりと心に受け止めるのです。聖書は、2節「激しい風が吹いてくるような」、3節「炎のような分かれた舌が現われて」と聖霊を比喩的に表し、私たちの五感で感じることができる聖霊の働きがあることを教えています。
3.聖霊の満たしによる変化
4節「みなが聖霊に満たされ…話しだした」と、あの証人としてダメだった弟子たちが、聖霊に満たされた瞬間、使徒として伝道し始めたのです。聖霊が注がれると何かが必ず起こります。ぼんやりしたものではなくて「これだ!」とはっきり自分自身でも分かります。聖霊が注がれた時、イエスの弟子として、神の子として、私たちが愛され、選ばれ救われた意味が分かるように、魂の根底から造り変えて頂けます。イエスを信じているだけでなく、聖霊の力があふれていますか。聖霊の力を体験した“ような”ではなく、この1年の後半に向けて、はっきりと明確に聖霊の体験をしようではありませんか。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。