秋と言えば、食欲の秋、読書の秋と言われますが、私たちは“聖霊の秋”として前進したいと思います。また、文化庁による国語に関する世論調査を見ると、今日では様々な言葉、語彙が新出していて、言葉の変化のスピードが増しているように感じます。しかし、何千年経っても色あせることのない、永遠に立つと言われている神のお言葉を土台として幸せを頂きたいのです。今回の箇所では、ペテロ、ヨハネの証しによってバプテスマを受け、イエスを信じる人々がエルサレム中にあふれるようになり、そのことに驚いた大祭司たちは、主を信じる人々がこれ以上増えないようにペテロとヨハネを捕らえ尋問するのでした。
1.イエス・キリストの権威
尋問の中で大祭司たちは、7節「…何の権威によって、だれの名によってこんなことをしたのか」と質問するのでした。ペテロははっきりと10節「イエス・キリストの御名によるのです」と言い切ります。現代でも、資格や免許がなければ規制されることは多いかもしれません。けれども、イエス・キリストの権威は、どんな資格よりも力があります。キリストの御名によって私たちには、解放、祝福、癒やしが与えられているのです。
2.あなたのための力の源としての聖霊
尋問を受けペテロが答える時、8節「ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った」とあります。ペテロはよく考えてからとか、自分なりの論理で、勇気を振り絞って答えたのではありません。この秋、生きる力の源泉として、聖霊に満たされたいのです。何をするにも、自分の努力、エネルギーだけで踏ん張って疲れるのではなく、聖霊の力を生きる源として歩みたいのです。十字架に架かるイエスを「知らない」と言って自分の命かわいさに逃げたペテロも、聖霊を力の出所とした時、激しい迫害の中でも、クリスチャンたちを守るために自ら殉教の死を遂げる者へと変えられたのでした。
3.キリストの名の持つ力を発揮
ペテロとヨハネにより「美しの門」の前で足のきかない男が癒やされたのは、キリストの名によって御業が現されたからです。私たちは、イエスにならって生きるだけでなく、イエス・キリストの名の力を発揮しながら生きていくことができるのです。お祈りの最後の「イエス・キリストの御名によって」という告白を決まり文句のように口にしていませんか。12節「世界中でこの御名のほかには…どのような名も人間に与えられていない」と記されており、最高に力ある名を私たちは使っているのです。このイエスの御名を、信仰を持って使いたいのです。私たちを大勝利に導くのはイエス・キリストただお一人なのです。この方以外に救いはありません。
聖霊に満たされる時、私たちは自分の頑張りや資格や免許ではなく、神のご計画によって生きるのです。私たちにはいつも聖霊という力の出所、源があり、力強く用いることができる主の御名があることを感謝して、霊的な生活を歩みたいと思います。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。