高木氏は詩篇18篇4節~6節を引用し、死の淵の苦しみにある者が主に呼び求める祈りが必ず聞かれることについて、大震災犠牲者の死の淵にあった苦境と照らし合わせてメッセージを伝えた。
初めてクリスチャンの祈りを聞いた男性との出会い
高木氏が教会員と共に被災地を巡回したのは昨年10月のことであったという。当時、岩手県大槌町にさしかかった際に、中心街以外は電気が通っておらず真っ暗になっていた中で車を止めて祈りを捧げたところ、熱心に祈っている最中、ひとりの60代の男性が数珠を携えて、「今頃何を祈りに来たのだ!」と叫んだという。その男性は高木氏らが祈っている祈りの声を聞き、初めてクリスチャンの祈りを知り、キリスト教会が毎日支援活動をしていると話しても、「自分は聞いていない。初めてその祈りを聞いた。そういう祈りがあるなら、なぜもっと早く来て祈ってくれなかったのか」と数珠を握り占めながら訴えたという。男性は自分の自宅や家族を失い、がれきの中水道も何もない暗闇の家屋で数珠をもってずっと祈っていたという。
高木氏は「どんなに祈ってもいやされない苦しみと悲しみの時を過ごされていたのでしょう。その時に突然クリスチャンたちが祈り始めたので、その男性は祈りを熱心に聞いていたのです。いかにその7カ月という時間が苦しかったのでしょうか。真っ暗闇の中で祈る人を励ます祈りの中で、その時本当にこの地に教会が必要だと思いました。教会があれば、もっと早くに祈りを聞くことができたでしょう」と証しした。
福島第一原発20キロ圏内「警戒区域」が今年4月16日に解除されたものの、6月に同地域を訪れたところ、沿岸部には人っ子ひとりおらず、ほとんどの家が海に浸かったままとなっており、まさに一年前のまま取り残されている状態であったという。高木氏は「(解除されたにもかかわらず)誰も片づけに帰って来ていない姿は本当に異様でした。何とも言えない空間であり、言いようもない虚しさが漂っていました」と伝えた。被災地域では、商売が繁盛しているのはお酒を売るお店で、酒や快楽的なもので虚しさを紛らわしている様子が見られたという。
最大の不安は「忘れ去られる」ということ
蓮根バプテスト教会では主任牧師の高木氏を中心に病院医療伝道を行っている。誠志会病院院長の岡田信良氏(蓮根教会代表執事)が開始した医療伝道から同教会は誕生した。高木氏は、東京都内の病院に入院中の患者らと接することを通じて、病の淵にある人々に医療伝道を行う経験を通して、「患者が一番不安としていることは忘れ去られることにあります。病室の中は一般社会とは隔絶しています。病院の中にいると、職場で忘れ去られてしまうのではないかという不安があります。ご家族も多忙で病院に見舞いに来られる方は少なくなっています」と証しした。
その様子は被災地でも同様であるとし、高木氏は日本社会全体、そして人間の罪の問題にも触れ「『忘れ去られていく』という不安の中に被災地の方々は置かれています。その痛みはときには家庭不和に結びつき、そこに争いさえも起きてしまいます。また社会も日本経済や政治などいろいろな問題がある中で被災地の痛みを忘れようとしています。しかし私はこれは人間本来の罪の問題だと思います。どうしても人の肉というものは、そこまで人のことを思うことができません。そのような中で忘れ去られていく人の苦しみがあります。(そのような人たちに)『人にはできないが神様には何でもできる』という希望を知らせることが必要ですが、自分がそのことを本当に背負っていないと、真摯に祈る力が無くなってしまいます」と注意を促した。
御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた
詩篇18篇には死の淵にある苦しみの中で主に救われたダビデによる詩が記されてある。高木氏は「やがて死は苦しみをもってやってきます。津波である人は水や砂を飲み込んで亡くなりました。死ぬことは本当に苦しいもので、死の瞬間には叫ばざるを得ず、溺れるときに泣きそうになって叫んだ人もいらっしゃいます。死の淵が来たときに、泣きたくなるほど苦しくなり、そこで叫ばざるを得ません。しかし主イエス・キリストの御名によって祈るなら、その叫びは、主の下に届いています。そのことを伝えなければなりません」と伝えた。
医療伝道の際の経験について、「病気で亡くなる時も同じで、いくら祈っても死ななければならないことがあります。死の床を迎える時に、『あなたの祈りは、その叫びは天の神様に届いていますよ。あなたが主を信じ祈ることで、あなたもあなたの家族も救われます』と伝えています。(そうすると、)亡くなるときに、目をじっくり見て、最後の息をぐっと飲み込んで亡くなられます」 と証しした。また不思議にそのような死の淵にある祈りがなされた後、家族や親せき間の争いや不和が解消されるなどの奇跡も生じているという。
高木氏は被災地の人々の抱える悲しみについて、「愛する人を失った苦しみがどうしても消えず、死ぬ時にどんなに苦しんだかということを思うと、酒を飲まざるを得ない状態にあります」と伝え、そのようなひとりひとりに、「祈りが天の神様に届いている、イエス様の御名によって祈るならば、あなたの叫びは、届いている」と励ますことが大事であると説いた。
高木氏は詩篇18篇のダビデの詩について、「苦難の中に主を呼び求めています。被災地の皆さまにとっても救いの御言葉であり、日本のキリスト教会、クリスチャンの救いの御言葉であると思います。どんな問題であろうとも、そのただ中で叫び祈る。どんな現実の中にあろうとも、『あなたもあなたの家族も救われます』と励ます。そうすると必死になって自分の家族を救いに導こうとします。そうするとその祈りは聞かれるようになります。死の淵にある祈りは必ず聞かれます」と説いた。
霊的な苦難の中で叫ぶようなとりなしの祈りが必要
また99パーセントの人々がノンクリスチャンである日本社会について、「この日本は霊的には本当に苦難の中にあります。ひたすらに自分たちの欲と権力を追い求めて生きています。私たちはまさにイエス様の十字架の愛とその復活のいのちに与かるときに、死の危機にある日本という、特にこの東京という街にあって、死の淵のベッドに横たわっている中にあって、自分の欲や権力や名誉などを必死に求めている東京の人々、その他日本の多くの人々のためにとりなして、苦難の中で叫ぶような祈りをしなければならないのではないでしょうか」と呼び掛け、主の十字架を見上げ、苦難の中にある人々に共感して叫ぶように祈る祈りが日本社会の救いのために必要であると説いた。
第17回一致祈祷会では、苦悩する被災地の人々に、生きる目的と希望が具体的に与えられるように、災害復興作業と復興計画が具体的に促進されるように、生活基盤と雇用、生活保障と生活計画が確立されるように、福島の被災地地域が放射能の被害から守られ、安全な生活ができるように、被災地の教会や支援を行うキリスト者らのために共に祈る時間が持たれた。
次回の第18回東日本大震災復興支援3.11超教派一致祈祷会では、被災地気仙沼市の教会復興支援などに尽力してきた建築家でウェスレアン・ホーリネス山形南部教会教会員の川上悟氏が招かれ、特別メッセージが行われる予定である。