イエスの弟子たちの信じ方は試行錯誤の連続であり、イエスから叱られることも迷うことも多かったのですが、後のクリスチャンは愛を込めて彼らのことを使徒と呼びました。そんな弟子たちがイエスのところにきて、「私たちの信仰を増して下さい」と願いました。信仰の分量が増し加えられなければならないと思い違いをしていたのです。信仰の成長のためにイエスは、信仰の働かせ方を教えて下さいました。
1.信仰を行動に移す
信仰を増して欲しいと願った弟子たちにイエスは、小さな信仰でも用いることの大切さを教えて下さいました。弟子たちは神を信じているつもりでしたが、自分で信仰を用いなかったのです。信仰を単に知識で終わらせず、具体的な行動に移し換えてみましょう。あなたの家族に病気や怪我の人がいるなら、あなたが実際にイエスの御名によって、「癒して下さい」と祈ることです。あなたの周りに、頑張っても何か上手くいかない、心がギスギスして幸せそうでない人がいれば、救われるように祈ってあげるべきですし、礼拝やバザーにお誘いしてみましょう。教会がますます愛に満ち溢れるようになればいいのにと思うなら、あなた自身が人々を励まし、祈り、奉仕してみようではありませんか。
信仰は知識の量や経験の年数の問題ではなく、使っているかどうかなのです。分かっていても、やるとやらないとでは大違いです。クリスチャンとしての信仰を働かせてみて下さい。そうすれば結果は神が与えて下さいます。
2.もう一歩踏み込む信仰をもつ
2千年前のイスラエルでは、裕福な家には奴隷の身分のしもべがいました。しもべが羊飼いや畑仕事を命じられ一日働き、日が暮れて戻ってきて、ちょうど主人の食事の時間で、ほかのしもべが作った料理が運ばれてきた時、「さあ、夕飯の時間だから、一緒に食べよう」と言われたりするだろうか、とイエスは当時の人々の常識に訴え掛けました。
今のように民主的な時代ではありません。2千年前の人にとっては、しもべはしもべとしての生き方があるから、仕事から帰ってきて主人が食事をしていたら、給仕や食事の上げ下ろしをするのが当然でした。本当に褒められるしもべとは、言いつけられたことをしても謙虚で、主人が求める以上のことすらできる者だとイエスは言われます。
与えられた1ミナを使わなかったしもべのように、月並のレベルの信仰で終わるのではなく、1ミナから5ミナを儲けた者のように、与えられたものを精一杯用い、主人に、「良い忠実なしもべだ」と喜ばれる生き方がしたいのです。自分のしたことを認めて欲しいし、しんどいことはやりたくない。それが人の本音でしょう。でもイエスが私たちのためにしもべの姿を取り、命まで捨てて仕えて下さったことを思い出し、一歩踏み込む信仰をもつ者でありたいのです。
この春、今までしたことのないことを是非試してみて下さい。神によって選ばれている私たちですから、新しい恵みが必ず備えられています。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。