今日の箇所の直前に、イエスのところにヤコブとヨハネがきて、「あなたが栄光の神の御座に着かれる時、私たちを右大臣・左大臣にして下さい」と願い出た出来事がありました。他の10人の弟子がそれを聞き、「抜け駆けだ」と大騒ぎを始めました。弟子たちは普段、特別純粋なことを考えていたわけではなく、誰が一番偉いのか、内心競い合っていたのです。その時イエスは、「神を知らない異邦人は、人の上に立ちたがるが、真のリーダーになりたい者は、皆に仕える者になりなさい」と、この世の常識とは全く逆のことを語られました。そして、「わたしがこの世にきたのも、人々の罪の贖いのために命を与え、仕えるためです」とまで語って下さいました。
1.信仰者の命の本質は仕えることにある
ヨハネの福音書13章に、イエスが十二弟子の足を洗われた記事があります。それは奴隷の仕事でした。土で汚れた全員の足を洗い終えられた後、イエスは、「主であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたもそうしなさい」と言われました。イエスの取った行動は半日後、ご自身が罪人の汚い罪を背負い十字架にかかられる行為を意味していました。イエスはまた、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と語られるのですが、それは単に心で愛し合うだけではなく、具体的な行動として仕え合うことを意味していました。人に仕え命をささげることが、キリストの命の本質ですから、その弟子であり、信仰者である私たちの命の本質も、愛し仕えることにあるのです。
2.精一杯の奉仕に主は報いて下さる
マルコの福音書14章に、一人の女性がイエスに高価な香油を注いだ物語があります。彼女は清く信仰深い特別な女性ではなく、むしろ罪深い女性でした。人々は彼女の行為を、「何という無駄なことを」と批判します。しかしイエスは、「この人は、自分にできることをしたのです」と受け止めて下さいました。そして、イエスの埋葬の準備をしてくれたのだと、彼女本人も知らない意義まで認められたのです。たとえ何もない無名な者であっても、義務だからするのではなく、真心をもって進んで仕える者にイエスは報いを与えて下さり、本人も予想だにしない大きな祝福まで与えて下さいます。
3.仕えることによりもたらされる恵み
使徒の働き9章にタビタという弟子のよみがえりの物語があります。彼女は病気で死んでしまい、ペテロが遺体の置かれた建物の屋上の間に行ってみると、貧しいやもめたちがタビタにあつらえてもらった衣服を次々とペテロに見せ、泣きながら彼女がどれほど優しくしてくれたかを伝えてきました。そして、使徒ペテロの祈りが奇跡を起こし、彼女はよみがえります。仕える信仰が高まってくる中で、私たちを癒やす命さえ与えられるのです。タビタにとっては、何という大きな恵みだったでしょう。本気で主に仕えた者を、主は決してお忘れになっていません。私たちが喜んで神と人に仕えていると、その恵みは大きな祝福として返していただけることを喜びたいのです。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。