長引かせるほど苦しみの総量が大きくなった沖縄戦
渡辺氏は当時の体験について「大真面目にやっていることが戦争を長引かせることでした。長引いている間に軍隊の下層の者からどんどん出血し、戦争の終結が遅くなるほど、犠牲の総量は多くなりました。人々の苦しみの総量も大きくなっていきました。そういうことが行われていたのが、日本がやっていた戦争だということを私は今ははっきりと認識しています。戦争終結を遅らせるためにあらゆる手段が使われていたことを見抜かないで、一生懸命協力していた愚かさを自覚しています。すべてのことが戦争を送らせるためにやっていたことをきちんと知っておかなければなりません」と伝えた。
また当時の沖縄戦での民衆の様子について、「軍が何を考えているかはわからず、人々は軍について行けば良いと言うふうに考えて、軍が南へ行けというならば、それに従って下っていきました。結果多くの犠牲者を生み出すようになりました。沖縄戦争がどういうふうになされてきたかということについて、軍がたとえうまいことを言っていても、実際にはその通りには実行しなかったのだということを知っておく必要がります。軍が何を言っていて、実際は何をしたかということを並べ合わせて比較することが必要です。今でも軍隊がやっているは、表向きと実際行っていることが食い違っていることがたくさんあります。これを私達庶民が見抜けるだけの知性をもっていなければならないのではないでしょうか」と呼び掛けた。
自身の沖縄戦での体験を通して、「日本では沖縄を別に考えていたという人が多くいました。このことはもっとよく考えて行かなければならないのではないかと考え始めました。日本人は何かあると沖縄を明らかにあからさまに差別してきたということを考えさせられる体験があり、その度にこれではいけないと自分を鍛え直す訓練をしてまいりました」と述べ、沖縄が暗に日本の中で差別されてきたことについて「差別されている側」の立ち場になって考え共感して行く姿勢が必要であることを伝えた。
疎開について、全体で考える機会をもたらした福島原発事故
渡辺氏は沖縄から半強制的に疎開させられた人々が犠牲者となった学童疎開船対馬丸の事故についても触れ、沖縄の人々が疎開の悲しみについて語り継いできた事実を伝えた。その上で渡辺氏は、「今日になって福島原発事故のために、福島県の多くの人々が『疎開』せざるを得ない状態になっており、心の傷が大きな問題になっていることを多くの人たちが気付いています」と指摘し、沖縄の疎開と対比して「沖縄の人たちが沖縄の戦争を回避するため疎開したために受けた心の傷は日本ではあまり知られていません。沖縄ではそのことの悲しみが語られており、その悲しみが語り継がれることが、沖縄の人たちのひとつの知恵になっています。それが『全体で考える』ことにならなかったために、疎開についてどういうふうに対処したら良いか(日本として)考えられてこなかったと思います。その知恵がないから昨年3月以来生じて来た原発による疎開で右往左往することが起こりました。それをどういうふうに受け止めてどういうふうに解決していくかということについてきちんとした知恵が立ち上がって来ていません」と伝えた。
沖縄が歴史上受けた不遇について、「琉球王国を植民地とした日本は、沖縄県を豊かにしようとは思いませんでした。今でもお金が本土から沖縄に行っているわけではありません。沖縄に行った多くの資金の大部分は、本土の方に帰ってくる仕組みになっていますので、沖縄は見かけは随分華やかになったように見えますが、少しも豊かにはなっていません。そういう意味では昔と同じ状態といえるのではないでしょうか」と問題提起した。
貧しさの中から生まれる誠実な団結力―日本人としてのアイデンティティ復帰へ
渡辺氏は、沖縄にだけオスプレイ配備が行われるなど依然として構造的な沖縄差別が残る中にあって、「沖縄の人は、本土の人間はあてにならない、自分たちでやっていくしかないと考えています。そして上からの力ではできないが、貧しい踏みつけられてきた人たちが団結するからこそできることが生じています。そのような精神の動きを私達も見習いながら、本土の中で日本人としてのアイデンティティを取り戻していけるようにして行く必要があるのではないでしょうか。虐げられている人、弱者には『誠実さ』があります。そのような大衆の運動をどのようにリードしていくかが問われているのではないでしょうか」と述べ、日本のキリスト教会が日本人としてのアイデンティティを取り戻していくために果たすべき役割を真剣に考えていく必要があると呼び掛けた。
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略歴:渡辺信夫(わたなべ・のぶお)氏 1923年大阪府生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。文学博士(京都大学)。2011年5月まで日本キリスト教会東京告白教会牧師。著書に『教会論入門』『カルヴァンの教会論』などがある。