同老人ホームの入居者たちは、年に数回ホームを訪ねて来る小中高生のために「あの夏の日に起った自らの被ばく体験」を劇にして上演している。被ばくから60年以上経過し、入居者も高齢となり被ばく体験を語り継ぐ人も年々亡くなる中にあって、「今のうちに被ばく者の真の姿、声、思いを遺しておきたい」との祈りともいえる切実なる思いから、ホーム内での長期間の撮影が初めて許可され今回のドキュメンタリーが完成された。
1945年8月9日午前11時2分に、長崎へ原爆が投下されてから今年で67年目となる。多大な犠牲者を生み、崩壊した浦上天主堂や純心女子学園など、今を生きる人々の記憶と日々の営みの中に、人間が創り出した核兵器の恐怖と不条理、その犠牲となった人々の苦悩と哀しみが映像のうちに浮かび上がる作品である。なお2年前に撮影した同映画に出演している老人ホームの人々のうち半分の41名が既に死去しているという。
また映画内では長崎大学に保管されているホルマリン漬けとなった大勢の被ばく者の臓器の映像も収録されている。放射性物質の内部被ばくは、60年以上前からデータを積み上げてきてもまだ資料不足ではっきりしたことが言えない未知なもののままとなっている。
本作品の撮影終了直後に東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所事故が発生した。唯一の被爆国であり、核兵器との関わりを拒否してきた日本において、国内において放射能被害者と加害者の二つの立場が同時に生じるに至った。
坂口監督は「2011年3月11日、長崎での最後の撮影を終えて帰京した私は、これまで体験したことのない激しい揺れに襲われた。5階の自室は初めて経験する長い振動に揺れに揺れ、それは大津波の襲来、原発事故へとつながる半鐘だった。事故の終息は今なお、霧の中であるが、3.11は分水嶺となり、私たち個々に大切なものは何であるかを突きつけている。1945、2011、私たち日本人は、原爆と原発、核、放射能、放射性物質の恐怖を世界で最も間近で知る国民となった。一度、放出され、汚染、飛散、拡散した放射能や放射性物質は気が遠くなるような半減期を経てからでないと完全に消滅させることは不可能で、遠くない将来、それらが私たちの身体にいかなる影響を及ぼすかは誰も予測できない。そして、私たちは今日も見えない恐怖を含んだ食物を不安とともに口にする。今、私たちにできることは何か。それは、命がけで今起こっていることを記憶し続けることであるかもしれない。1945を人々が記憶しているように、私たちも2011を、日々刻々と変容する現実を痛みとともに記憶しなければならない。強く記憶した者だけが迸るようにその記憶を発露することができる。新しい未来に、その記憶を伝承し、継承するために。祈るように、脳に灼けつくぐらい鮮烈に」と伝えている。
映画評論家の佐藤忠男氏は、同映画について「これまで広島長崎の原爆投下は、日本が仕掛けた侵略戦争の結果だ、原爆を非難するならまず侵略戦争を反省しろというのがお決まりの反応であったが、同映画でキリスト教徒の被ばく者の祈りの面、内省的な面に相当な配慮がされているため、国際的には受け容れられやすい面を持っていると思う。原子爆弾とは何であるかということは、実はまだまだ知られていない。この映画が、やさしく温かく、しみじみと見る者の心に染み透る力によって広く世界に受け容れられることを期待している」と評価している。
同映画を通じ、外部被ばく、内部被ばくの恐怖、核爆発により放出された放射線や放射性物質によって傷ついた遺伝子が生涯にわたってがんになる可能性があることが如実に伝えられている。福島原発事故を経て全国規模の脱原発デモが大々的に行われている中にあって、半世紀以上もの間、原子爆弾や放射能の恐怖、痛みと真正面から向かい合って生きている人々の姿を通して、改めて核問題について考察するかけがえのない機会を提供している作品でもある。
同映画の語りを担当し、「軍神」の裏の側面を描き、戦争の本質から反戦を訴えた映画「キャタピラー(2010年)」においてベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞した女優寺島しのぶさんは、同作品について「今、日本にいる人間として忘れてはいけない、過去の日本人の痕跡を『夏の祈り』で知っていただけたらと思います」と伝えている。
カトリック中央協議会は、「これは祈りに支えられたカトリック者の静かなる『闘い』である。『祈りの長崎』、この言葉がまぎれもない真実であることを私達は胸に刻む」と同映画を推薦している。
同映画は11日より渋谷アップリンク(東京都渋谷区)にて公開される。詳細はホームページまで。