○今はその人(信頼し裏切られ、心に深い傷を受けた人)を完全に赦せていますか?人を赦すことで、信仰生活の上でどのような変化が生じるようになったのでしょうか?
そもそも「赦せない」という言葉の響きは、私が思うに高慢で上から言葉、相手への激しい思いを想像してしまいますが、私の「赦せない思い」はそういう激しいものではありませんでした。起きた出来事への恐怖と心の傷の痛みに襲われ、忘れたいのに忘れられない、しかもその思いのために普通の人が普通にできることができないなど、生きて行く上でかなりの支障があって、そうした現実は救われてからもさらに9年程続きました。心の傷は深く、自身の人格否定、存在意義さえ否定してしまう程のものでした。よく「私の人生を目茶目茶にした人をなぜ赦さなくてはならないのか」「生まれて来なければ良かった、あの時消えていれば良かったのに」と思いました。
―今その人への思いは、言葉で説明するのは難しいのですが、色であれば薄くなってきています。やはりあの「赦し」という歌を主にいただいてからは激変しました。思い出すことが減ったこと、思い出す時に起きる過剰な反応が減ったことが大きな変化です。ですからうなされたり、似た人を見ても、似た声を聴いても異常な反応がなくなりました。もともと激しい思いがあるというよりは、こうしたフラッシュバックが襲ってくることが辛く、予告なく起きるこうした反応に怯えていましたが、こうした反応は、深い神様の愛に包まれ癒されていく中で、なくなっていき、相手のことを思い出すと体が震えるような恐怖や悲しみが薄くなっていきました。そうなるまでには、ものすごく時間はかかりましたが…。
―「人を赦す」ということは、自分の力や努力では絶対できないことなのですが、「人を赦す」にはまず自分が癒されないと無理なのだと実感しています。そして人の「決して変えることのできない過去」を癒すことのできるお方は、イエス様しかおられません。私に天から「赦し」という歌が与えられた後、しばらくは歌うことが苦しかったし、赦せたかどうかを自問自答することはもっと苦しかったのですが、今あらためて自問したら…「はい」と答えられる自分がいます。
どうしてかと問われれば、それはやはり「癒された」からですね。それしかありません。神様の愛はどんな悲しみ、苦しみも最善に変えて下さいます。今わかったのですが、実は今出来上がったばかりの20曲目の歌は「悲しみの向こうに」なのです。神様は私が完全に癒され、悲しみの向こう側にある希望と光にたどり着けたことを、音を下さって教えて下さったのだと思います。
過去の人を赦せたのかどうか、怖くて自問自答することをずっと避けて生きて来ました。でも今改めて聞かれて、自然に「赦せた」と答えられる自分がいたことに驚いてしまいました。20曲目に与えられた歌の歌詞の中に「弱さを認めるその時、神の力に覆われる」、「限界を知りキリストの愛を知る」とあります。私はある時、この「赦せない思い」、「癒されない傷」を自身でどうにかしようとすることを止め(これが鍵なのです)、神様に丸投げしてしまいました。それから音が聴こえるようになりました。また、それまでは人の目や、自分が人に劣ることなくきちんとできているかが気になって仕方なかったのですが、音が聴こえるようになってからは、その音の聴きとりが至福の時となり、他のことに気持ちを奪われることが減っていきました。聴きとりを始めると2日くらい何も食べなくなってしまう程夢中になってしまいます。こんなことはそれまでそうたくさんはありませんでした。一曲聴きとり終え、歌詞が吸い込まれるようについていき、歌が出来上がった時の満足感は他のどんなことよりも大きく、そんな私を見て主人も驚いています。
20曲全部がお証しであり、主からの愛のメッセージでした。信仰も体も心も弱い私に、神様が下さる完全な愛でした。私が立派な人でも、模範的なクリスチャンでもないからこそ、この様な愛を下さっているのだと思います。この新たに与えられた曲である「悲しみの向こうに」はこれまでのわからなかったことを、教えて下さる神様のお答えでした。点と点、線と線が全てつながった感じです。できあがった時、主を畏れました。癒されるのに時間がかかり、「できないことは何一つない神様なのに、どうして一瞬で癒されずに時間がかかるのだろうか?」と嘆き、祈りの中で叫んだことを思い出します。
―しかしそれも神様のご計画だったのだ―と、今でははっきりとわかるのです。赦しに導かれるまでの過程がとても大切で、そこで自身の成長や乗り越える力をいただきました。もっというなら、この成長の過程で、神様との関係(信仰)が深い深い、揺るぎないものになっていき、それは「赦せない」という未熟な私(優等ではない者)にも与えられる一方的な恵み…そして赦したくて(忘れたくても)も赦すことのできない(忘れることができない)方々に、神様の愛をお伝えする使命をも与えて下さいました。赦せた、忘れられた、それだけではなく、神様を信じ、期待した私だけではなく、その優等生ではない私を通して、心に傷を持つ他の方々をも癒して下さることができることが神様のすごいところだと思います。
「赦す」ことができてから、信仰生活が変わったかどうかと問われれば、やはり自分の変化には気づきにくいものですが、最近人に「知保子、明るくなったね」「神様に愛されていることが、知保子を見て、歌を聴いて感じられる」などとよく言われます。この15年間いつも傍で支えてくれていた主人も同じことを言います。ちょっとしたことにも傷つき、泣いてばかりいたので、主人は扱いに苦慮していましたが、やはり音をいただくようになってから、私が変わって来て、特に御言葉に敏感になり、それって(知って従うことができれば)すごい恵みで、神様の思いをきちんと感じられると、弱さや限界を感じた時に、自分を責めるのではなく、足りない者であることを告白し、お力をいただくということが自然にできるようになってきます。
他人を変えることはできない様に、自分自身で自分を変えることも難しいですよね。でも神様を見上げ、共にいることを実感できていると(私の場合これも自分の努力ではなく、神様が特別配慮して下さって音が聴こえていることで、いつも神様を感じられるようにしていただいています)、人格まで変えられてしまうんですね。神様を信じ音が聴こえる=神様からの恵みのシャワーを浴びさせていただくこと=それによって自分が新しくされていくというこの「救いの方程式」を発見しました。聖書に書かれていることではありますが、それが実感できるとは、本当に私は、愛されているのだと感じています。
※続きはこちら-「人を赦す秘訣」、「天から音が聴こえたきっかけ」
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知保子コストナー氏
所属:アサフミュージック 東京都出身、国立音楽大学教育音楽学科1類専攻卒業。
ある時祈っていた時、音が聴こえてきて、その音をピアノで再現しその時思わされたこと、与えられた御言葉を歌詞につけて続々と賛美が作成されている。神様からの歌を証しとして教会や集会、福祉施設などで賛美コンサートを行っている。夫のクリストフ・コストナー氏はキリスト教プロテスタントの宣教団体で活動を行っている。
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