キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質を持って現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、・・・すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2:6〜11)
イエス・キリストのご誕生を祝う聖書の箇所には、キリストが、インマヌエルの主として、「神がわれらと共におられる」という約束を事実として下さる救い主である、と記されています。キリストは、単に想像して心を慰めるだけの神ではなく、私たちと共にいて下さる実体の伴う神であることを心から感謝したいのです。
偽りや詐欺が横行する時代において、私たちは、「イエスこそが私の主です」と告白できる信仰を持ってクリスマスを迎え、キリストの愛を人々に伝えたいのです。
今日の箇所で、私たちが「イエス・キリストは、私の主です」と心から告白することができるように、キリストは三つの事実を成し遂げて下さいました。それを共に学びたいのです。
1.私たちを救うために、自らを捨てられた主
キリストは、神の現われ、神の栄光、神の輝きそのものであるお方ですが、神の本質を捨て、仕える者の姿を取ってこの世に降り、人としてお生まれ下さったのです。
もし、あなたが、「今の仕事や家族を捨てなさい。持っている洋服や財布、クレジットカードも預貯金も全部捨て、アジアやアフリカの貧しい国に行きなさい。それがあなたに与えられた使命だ」と言われたとしたら、私たちは皆躊躇し、できないと思うはずです。
赤ん坊のイエスが家畜小屋の飼い葉桶の中に産み落とされたクリスマスの物語を、私たちは、当たり前のように語ります。しかし、神のひとり子であるキリストが本当に私たちを愛し救うために、ご自分の価値ある神としてのご性質、命まで捨て切って下さり、この世に生まれて下さったことは、たとえるなら、私たち人間が、虫けらのようになって生まれ変わることです。そこまでして、キリストは来て下さったということを忘れてはなりません。
2.神の御旨に徹底的に従われた主
私たちがへりくだって、単に質素な生活をするようになったとか、単に自分の良い物を捧げたというのではなく、キリストは十字架の上で命を捨てるところまで従われました。それは、私たちのしもべ、奴隷となられたということです。私たちの罪、汚れ、心の歪みや汚い嘘、罪深さを全部ご自分が背負って下さり、私たちのためにののしられ、罵倒され、むち打たれ、釘で打ち付けられ、槍で刺され、苦しみの果てに死んで下さったのです。それは、とことん仕える姿であり、神の御旨に従う姿勢を示されたのです。
若い人が新しい職場を探す時、どんな仕事に就きたいでしょうか。奴隷のようにこき使われ、ののしられ、罵倒され、他人の失敗や不況による会社の赤字まで全部あなたのせいにされて、殺されるところまでいく会社、そんな所に就職したいなどと言う人はいるでしょうか。けれども、キリストは、仕える姿、従う姿勢で引き受けて下さいました。
3.高く引き上げられたキリストの御名
イエス・キリストは全ての栄光をかなぐり捨て、とことん仕え、従う姿勢を示され、私たちの住む世界のどん底のどん底に降って下さいました。その救い主に対し、父なる神が、全ての名にまさる名として、この世を支配する最高の権威ある名前をお与えになったのです。
世界中にどれほどの名前があったしても、イエス・キリストの御名ほど、世界中の人々によって唱えられた名はありません。今も全世界で、15億人を超えるクリスチャンによって日曜日、イエス・キリストの御名は、祈りを捧げる度に唱えられています。それは、なぜでしょうか。イエス・キリストの御名を唱え、祈る度ごとに、私たちの魂が救われ、病が癒され、不可能が可能になり、神の恵みが現わされ、どんな悪の力も吹き飛ばされるからです。そして、私たちの魂の一番の深みにおいて、イエス・キリストの御名が、キリストの愛、神の救いの力をもって炸裂するためです。このことによって私たちの人生は変わります。私たちの人生の一番深い部分にもキリストの愛が注がれるなら、必ず変わるのです。私たちの社会においても、キリストの愛が働く時に、人々の心は本当に赦され、救われ、世の中に恵みが流れます。今の時代が変わるとしたら、人の力や思いつきではなく、キリストの力が必要です。
ご自分の命を捨て、徹底的に従うことと引き替えに、私たちがいつでもその名を使うことができるように高く引き上げられた救い主キリストが、確かにこの世界のただ中に、そしてこの私のところにまで来て下さいましたと、クリスマスに心から喜ぼうではありませんか。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。