[著者]J・Aターナー
(小出、瀬尾、山崎、大江、蔦田訳)
[出版]福音文書刊行会
[価格]2500円
[評者]瀬尾要造
元日本ナザレン教団学園教会牧師・元福音文書刊行会会長
昭和34年に発行された米田勇編著「田中重治伝」に渡辺善太博士の「田中重治とそのホーリネス運動」という論文があります。
その中で彼は、「神学なき体験」を批判し、自己の体験の中に「グルグル廻り」をし、そこに自己満足を求め、そこに快感を覚えるのではマンネリズムに陥り、周囲の人々に新鮮なものを感じさせないようになってしまう、と言い、ターナーの「ウェスレー神学の中心問題」を「聖化を主題とする画期的な学的名著」として推薦しています。
「キリスト教の完全」の教理は、教理史の主流にあるものではなく、教界の片寄った人々の説いた珍奇な教えである、といった誤解をしている人々に対して、N・フリューは歴史神学の立場から、大著「完全思想史」を書きましたが、ターナーは、主として、聖書神学の立場から、この完全の教理が聖書の中心的な教理の一つであることをきわめて明快に、しかも学問的に述べています。
私の年代のものにとり、クックの「新約の聖潔」、ブレングルの「きよめの栞(しおり)」、ルースの「第二の転機」、ウッドの「全き愛」、スティールの「ゴスペル・オブ・カムファーター」や「ラブ・エンスローン」などはなつかしくもあり、今もなお有益ですが、「ウェスレー神学の中心問題」は、現代感覚にあふれた、エポック・メイキングな聖化の学問的な神学書として推薦いたします。