宗教法人「世界基督教統一神霊協会」(統一協会)の元会員で現在、ホサナ福音キリスト教会(東京都府中市)の鈴木基弘牧師は、今も異端の教えに縛られている多くの人々がいることを憂う。鈴木牧師は「彼らの目を開いて、彼らが暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返られるように、また、キリストを信じる信仰によって罪の赦しを得、救われて御国を受け継ぐことが出来るように祈ります。(統一協会の)経験者が積極的に証を語っていくべき」と話す。本紙は鈴木牧師に、統一協会脱会から現在までの体験と信仰の証しを語ってもらった。
統一協会に入信したきっかけ
“宗教は弱い者のすることだ”という宗教に対する偏見を持っていたました。今になって思えば、神様は、宗教嫌いで高慢な私を救うために“宗教ではない”と自称するキリスト教異端を通してその御計画を実行されたと思います。
私の人生に大きな転機が訪れたのは、大学五年の冬のことでした。一年浪人して入った大学でしたが、自らの怠慢ゆえに一年留年した私は、はたして、このまま大学を卒業して社会人になって、まともな社会人になれるのだろうかと悩んでいました。両親に対しても申し訳ないという気持ちから、卒業前に何か自分を変えるために学びたいと思い始めていました。そのようなとき自己啓発というタイムリーな話がについ誘われ、飛び込んだ世界が、統一協会でした。
私を勧誘した人々は、 宗教ということを伏せて「自己啓発の青年サークルです」と言って、私が何に関心を持っているのかについてアンケートを始めました。自分の将来に対する悩みがあったこと、人は誰でも幸せを願っているのに、なぜ幸せを求めて醜い争いをするのか、教育や社会に対する矛盾について私なりに考えていたので、関心のある項目すべてにチェックを入れました。そして『あなたは、問題意識の高い人ですね』『あなたにふさわしいビデオがあるので、観てみませんか』などと誘われて行った所が、当時統一協会が伝道の窓口として行っていたビデオセンターでした。
統一協会の教え
ツーデイ(2days)とフォーデイ(4days)という泊り込みのセミナーに参加して初めて、この学びが統一協会の教えであり、その教祖が文鮮明という韓国人であることを知りました。しかも、その教祖が、イエス様に代わって再臨のメシヤとしてこの世に来た救世主だというのです。
統一協会の教えは「イエスは十字架につけられ、復活して霊的勝利はしたが、肉的勝利はしていない。だから、その使命をイエスご自身が文鮮明に託し、彼が再臨のメシヤとしてこの世に来た」「この真理(統一協会の教え)を知った人間は、悲しんでおられる神を慰めるため、“為に生きる”愛の実践と失われた万物を復帰するための伝道と経済活動をしなければならない」「汚れた堕落人間アダムの血統転換のために、教祖の文鮮明から合同結婚式を受けなければ救われない」というものでした。
統一協会員としての生活
私は、完全に統一協会の教えを信じながら、社会人として信仰生活を2年間続け、その後さらに2年間フルタイムの献身生活に入りました。ワゴン車の中で寝泊りしながら、失われた万物を復帰するために、日が昇る前から夜遅くまで、全国各地を周り、難民救済と偽って募金集めをしたり、高額の珍味を売り歩いたりしました。その間に与えられる小遣いは、月に1万5000円でした。完全に彼らの教えに支配されてい私は、辛い思いをすればするほど、神様の悲しみを思いながら、むしろ、その神様を慰め喜ばせるように、自らを奮い立たせて頑張っていました。
家族について
両親には活動を内緒にしていましたが、両親は薄々感づいていたようで、密かに私を統一協会から脱会させるために、両親も悩み苦しんでいました。
入会して4年がたとうとする1992年の夏、ソウルで合同結婚式が行われる直前、ついに私の両親が立ち上がりました。 両親は元々クリスチャンではなかったのですが、この期間に神様から信仰を与えられ、「イエス・キリスト以外に救いはない」と確信し、私の脱会活動に踏み切ったようです。
私は、両親によってマンションの一室に一カ月間保護されました。統一協会では「信仰に対して反対する者は、たとえ家族でも、サタンと思いなさい」と言われていたので、私は私を説得しようとする親に猛反発していました。
ある日のこと、私は、不思議な体験をしました。監禁状態にされて2週間ほど経ったある晩、寝ていた私は、何か私の枕もとに人の気配を感じました。薄目を開けてみると、私の父が、うずくまって祈っているではありませんか。父は、私のために必死で祈っていました。私は驚きました。あの頑固で、何の信仰心も持っていないあの父が、祈っている。ショックでした。また別の晩、同じように寝ていた私がふと目を覚まして見ると、台所で母が祈っている姿が見えたのです。
このような光景を目の当たりにし、いつしか私の心は、自分のことしか考えられなかった心から、人の気持ちを考える心に変えられていきました。
真の神への確信について
キリスト教会の牧師が私のところに来て、ご自分の証、聖書とは何か、統一協会の聖書解釈と正統的聖書解釈の違いなどについて話してくださいました。聖書の学びを始めて、 統一協会の主張が聖書とは異なることに気付かされながら、一つの聖書の言葉に目が止まり、悟りました。
“しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。”(ローマ人への手紙5章8節)
ここを読んだ時、私は『神様は悲しんでおられるのではなく、御子を捧げて下さったほどに私たちを愛しておられるのだ』と分かりました。
さらに聖書を見ていくと、“あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。”(コロサイ人への手紙2章8節)
とあるように、まさに統一協会の教えが聖書を人間的解釈によって曲解したものに過ぎないことに気付きました。
神様が私を愛しておられることを悟ってからは、今まで本当の神様を知らずに、信じないで生きてきた高慢さを悔い改め、イエス・キリストを私の主として心に受け入れました。救われた当初は、賛美をするたびに、感謝の涙があふれて止まりませんでした。
神様は、ご自身に見向きもしない者、背を向ける者をも憐れんで、救い出してくださる方です。
統一協会問題で苦しんでいる人たちへのメッセージ
使徒パウロは、ダマスコ途上で復活の主イエス・キリストに出会って、キリスト者を迫害することに燃えていた人間から、キリストのための働き人に変えられ、証し人として新しい使命をいただきました。
“わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。”(使徒の働き26:17、18)
統一協会を始め、エホバの証人やモルモン教などのキリスト教異端は、聖書を自分勝手に解釈し、その組織に都合のいいように信者をコントロールします。教えの間違いに気付いて異端を脱会しても、何が真理で、何に従うべきか、分らないままでいることは、本当の意味で救われたとは言えません。今まで命懸けで信じていた道が突然、無くなるわけですから。その代わりに信じるに値するもの、命懸けで守るべきものを見つけ出さないと、私たちは生きていけません。それが、イエス・キリストの救いです。