賀川豊彦が神戸のスラム街でキリスト教伝道と救貧活動を始めてから、今年で100年を迎える。東京と神戸では昨年から記念プロジェクトの実行委員会が立ち上がり、様々な記念行事を実施している。
そんな中、キリスト教放送局FEBCは25日午後10時から、特別番組「賀川豊彦・その人と信仰と思想」(毎月第4土曜午後10時放送・全6回)の放送を始める。賀川豊彦記念松沢資料館学芸員の杉浦秀典氏が18日放送の同局の番組に出演し、賀川の魅力について語った。
杉浦氏は、賀川が19歳で神への献身を志して神学校に入学したのは1907(明治40)年であり、救貧活動の前にまず神への献身があったことを紹介。今回のプロジェクトでは、賀川が「救貧活動に身を捧げたこと」を献身として、その意味を改めて見つめ直すことが主要テーマとなっていることを説明した。
また、賀川の著書「死線を越えて」が、当時の最も売れたベストセラーでも30万冊であった大正9年に、それをはるかに超える100万冊という空前の売り上げを記録したことを紹介。同書は賀川の「自伝的な小説」であり、苦しむ人を見ると放っておけず、自分も一緒になって苦しみをともにする賀川自身の姿が生き生きと描かれていると語った。
賀川が日曜日毎に伝道所を開いてはスラム街の人々に福音を伝えていたことや、賀川の説教が聴衆をひきつける力強いものであったことが、現存する説教テープなどからわかることも紹介した。
杉浦氏は、自身が賀川に感じる魅力について、伝道者として魂の救済を大切にするだけでなく、救済を受けた者にはそこから出て「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10:37)とのイエスの言葉に忠実であることを求め、賀川自身が先頭に立ってそれに本気で取り組んでいった姿勢を挙げた。
さらに、賀川が重い結核のために19歳の若さで医者から死を宣告され、瀕死の状態にあったときの体験を紹介。賀川はその瀕死の状態の中で、突然不思議な光に包まれて神と出会い、「もし自分を生かしてくれるなら、貧しい人たちの住むスラムへ自分を送ってください。自分の命をそこに捧げたい」と祈ったという。賀川はそこから奇跡的な回復を遂げ、医者も驚くほどの健康を取り戻していった。
賀川は神との約束通り、当時日本最大のスラムの一つであった神戸荒川に21歳で「献身」。あまりにも悲惨な現状に打ちのめされそうになりながらも13年半そこに住み、様々な救貧活動を実践した。まだ労働者の団結権が認められていなかったその時代に労働組合の必要を訴え、貧しい小作農のために労働組合を創設。さらに、賀川の始めた協同組合運動は、多くの支持者を得ながら各地に広がっていった。
熱心な伝道者である賀川は、昭和初期に大伝道集会「神の国運動」を全国各地で開催。3年間で計79万人を集め、何千人という人々を洗礼に導いた。
杉浦氏は、「一人の人が人間性を取り戻していく」ところにこそ、賀川が協同組合の必要性を見出していたのではないかと指摘。賀川は生前、生活協同組合のもとは聖書なのだということを繰り返し話していたという。
杉浦氏は、「いま現代にこそ必要なメッセージが賀川先生から発せられているのではないか」と語った。
特別番組では、各分野の専門家がそれぞれの立場から賀川について語る。4月25日の第1回目は賀川豊彦記念松沢資料館館長の加山久夫氏が「賀川豊彦を知っていますか」と題して導入的な内容を語る。2回目(5月23日)は「ボランタリズムと賀川豊彦」と題して神奈川県立保健福祉大学名誉学長の阿部志郎氏、3回目(6月27日)は「ボランタリズムと賀川豊彦」と題して国際基督教大学名誉教授の武田清子氏、4回目(7月25日)は「思想家としての賀川豊彦」と題して中部学院大学名誉教授の雨宮栄一氏、5回目(8月22日)は「詩人としての賀川豊彦」と題して恵泉女学園大学教授の森田進氏、最終回(9月26日)は「伝道者としての賀川豊彦」と題して国際基督教大学名誉教授の古屋安雄氏が番組を担当する。