イスラエルよ、わたしはあなたを滅ぼす。だれがあなたを助けることができよう。あなたを助けるあなたの王は今、どこにいるのか。あなたがかつて「わたしに王と君たちとを与えよ」と言ったあなたを保護すべき、すべてのつかさたちは今、どこにいるのか。わたしは怒りをもってあなたに王を与えた、また憤りをもってこれを奪い取った。(ホセア書13:9~11)
神様は、私たちの祈りに応えてくださいます。時には、私たちが求めるので仕方なく、憐(あわ)れみによって応えてくださることもあります。しかし、それが私たちの信仰生活に悪い影響を及ぼすものであれば、神様はいつかそれを私たちから取り上げられます。
子育てに当てはめて考えてみれば、分かりやすいでしょう。子どもが欲しがるので仕方なく与えても、それが子どもに悪い影響を及ぼしているのであれば、そのまま放ってはおけません。子どもからそれを取り上げるのは、簡単なことではないかもしれませんが、子どもの健全な成長のためには必要なことなのです。
私たちの信仰の歩みにおいても同様のことがいえます。私たちの信仰生活に悪い影響を及ぼしているものは、たとえそれが私たちの慣れ親しんだものであっても、やがて神様によって取り上げられます。
しかし、神様はまず私たちに、今与えられている役割に、誠実に、忠実に取り組むことを願っておられます。その役割を成し遂げた後に、神様は次の扉を開かれます。
今与えられている役割に関して、神様の御声を日々聞くことに徹し、その導きに従い、行動に移しているでしょうか。自分の願う夢やビジョンがいつまでも成就されない、前進できないと悩み、ストレスを感じているのであれば、まずは、今置かれている立場において最善を尽くすことが大切です。
今与えられている役割に、誠実に取り組む者には、神様が満ちあふれるほどの祝福を与えてくださいます(参照・マタイ13:12)。神様は、私たちの気付かない背後で、ご自身の計画を推進されているのです(参照・エステル記1章)。ですから、主にあって安らぎましょう。
さらに重要なのは、まだ明確に見えない次のステップに向けて、私たちが神様の導きに従って信仰の一歩を踏み出すことです。この一歩を踏み出すために、完璧な環境が出来上がるまで待つのであれば、いつまでも前進できない可能性があります。神様の豊かさは、私たちが踏み出した先にも備えられています(参照・1列王記17章)。この信仰の一歩も、今私たちに与えられている役割の一つなのです。
もし次のステップへの導きがまだ与えられていないのであれば、神様があなたに最後に語られた御言葉は何でしょうか。その御声に従い続けましょう。神様の御声を聞けず、なかなかその御業を見ることができないと感じるようなときでも、神様は私たちの近くにおられます。神様が最後に語られた御声を思い起こし、信仰を働かせて、その御言葉に継続して従い続けることです。
今日、神様の御声を聞き、御言葉によって示されたことを誠実に行いましょう。神様が既に私たちに与えてくださっている、満ちあふれるほどに豊かな人生を歩み通しましょう。
GOD BLESS YOU!
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