ダマスコ途上の劇的な体験によって変えられた迫害者サウルの回心は当初、弟子仲間たちにとっても信じ難いものだった。そのため、その回心に疑いの目が向けられることもしばしばだった。同様に、ニューヨーク・タイムズ紙の記者パトリック・キングスリー氏にとっても、元過激派のテロリストの回心は、若干の不穏さをもって受け止めざるを得なかったようだ。(第1回から読む)
キングスリー氏いわくこうだ。「なぜ彼が、よりなじみの深かったイスラム教ではなく、キリスト教に慰めを求めたのか、誰もうまく説明できないのです。聖書を読むと、コーランを読むより落ち着くのだとムハンマドは主張しました。彼によると、近所のモスクよりも教会に通った方が、自分たちはより歓迎されていると感じたようです。ムハンマドの個人的な見解では、キリスト教の祈りは、イスラム教の祈りよりも憐(あわ)れみや恵みを強調するものだったというのです」
当のムハンマド自身は、彼の身に起きた劇的な改宗の性質を次のように表現した。「以前私が崇拝していた神と、今私が崇拝している神との間には大きな隔たりがあります。以前は恐れながら礼拝していました。イスラムの教義では、自分が人生の中でこれまでに犯してきた罪よりも、自分がなした善行が多ければ天国に行けると教えていました。つまり、自分が救われているのかそうでないのかは、死んでみないと分かりません。そういう意味で、私のうちには常に不安がつきまとっていました」
「しかし、今は全てが変わりました。以前のような不安は全くありません。なぜなら、キリスト教の場合、救いに必要なことは、全てイエスがなさってくださったからです。私は、ただそれを信じて受け入れればいいのです。この点でイスラムとキリスト教は全く違います」
かつてのイスラム過激派戦闘員のムハンマドは今、十字架を身に着け、居間の壁にも十字架を掲げている。そこでは、程度の差こそあれ、イスラムをバックグランドとする他の新しい信者たちが毎週、聖書研究と祈り、そして礼拝のために集まっているのである。彼は今、自分の救いのためではなく、同じ迷いや不安の中にいるイスラム教徒たちに手を差し伸べるために、自宅を解放して人々をキリストに導いているのだ。
イスラム過激主義によるキリスト教徒への迫害が絶えない昨今、一方で主は、イスラム教徒たちの間で力強く働いておられる。癒やしや夢、幻など、イスラム背景から回心した信者たちには、しるしや不思議が伴う場合が非常に多い。しかもこれらの改宗者たちは、ちょうどムハンマドもそうであるように、回心後も熱心に主に仕え、迫害のリスクを負って伝道に励む弟子となるケースが少なくない。
世界宣教の最後の牙城のように見られがちなイスラムだが、主はこれらのムスリムたちを愛して、終末的にご自分の御もとに引き寄せてくださっているのだ。ムハンマドのようなトルコの改宗信者たちのために、またイスラム世界のために祈っていただきたい。
■ トルコの宗教人口
イスラム 96・6%
プロテスタント 0・03%
カトリック 0・06%
正教 0・03%
ユダヤ教 0・02%
◇