マタイの福音書には、税金を支払うためのスタテル銀貨一枚を口にくわえた魚が釣れたという記述がある(マタイ17:27)。西アフリカ某国において、魚の腹から見つかった一つの家の鍵が、暴力的な夫にとって天国への鍵となったという、まるで聖書に登場するような素晴らしい証しを紹介したい。
西アフリカのある女性がイエスを信じるようになった。しかし、イスラム教徒の夫は、彼女の改宗を理由に、彼女に冷たく当たり、暴力を振るうこともまれではなかった。それでも彼女は夫に仕えながら、静かに信仰を保ち続けた。そして人知れず彼女は、夫の救いを神に祈り続けていたのだ。以下は、そんな彼女の驚くべき証しである。
ある日、彼女はキリスト者のための一週間の修養会が開催されることを聞いた。これを聞いてからの彼女は、頭からずっと修養会のことが離れず、どうしてもこれに参加したいと切望した。そこで彼女は、控えめに夫に許可を求めたのだが、予想通り、夫は激怒した。
「何ぃ? お前は一週間もの間、家を留守にすると言うのか? ばかも休み休み言え! 俺の食事は誰が作るんだ! 家の掃除は誰がするんだ!」とこんな調子で、夫はひどい剣幕で捲(まく)し立てた。「お前は黙ってイスラム教に専念しろ! 教会のことなんて、きれいさっぱり忘れちまえ!」と言い放つと、夫は彼女を再び激しく殴ったのだった。
しかし彼女は、この集会に参加することに強い神の導きを感じていた。それは彼女自身の成長のためにもなるし、彼女にとって必要な他の女性信者たちとの交わりが得られるまたとないチャンスでもあったからだ。夫の暴力的な反応にもかかわらず、彼女はこの集会に参加する決心をしたのだ。
彼女が出かけた後、夫は激怒のあまり家に鍵をかけ、妻を二度と自宅に入れはしないと近所の人々に宣言したのである。夫は自分の決意が決して変わらないことを示すために、自宅の鍵を川に投げ捨ててしまったのだ。妻が二度と家に入れないようにすると、この悪い夫は、外に囲っていた愛人と過ごすために、そそくさと自宅を後にしたのだった。
祝福に満ちた一週間の豊かな修養会を終えた彼女は、家に帰る途中、地元の市場に立ち寄った。モスクでの金曜礼拝から帰宅する夫のために、彼女は心のこもった食事を用意したいと考えたのである。この時の彼女には、夫が永久に彼女を締め出してしまったことなど、全く知る由もなかった。
自宅に到着すると、家が固く施錠されているのを不思議に思った彼女だったが、隣人から鍋を借りてキッチンを使わせてもらい、夫のために食事の準備に取りかかることにした。そして彼女は買ったばかりの魚をさばき始めたのだ。彼女が魚の腹を開くと、何とそこから鍵が出てきたのである。
彼女は驚きながらも、それを手に取ってまじまじと見てみると、自分の家の鍵によく似ていることに気が付いた。隣人が彼女に「あんた、それで家の鍵を開けてごらんよ!」と勧められ、恐る恐る自宅の鍵穴に挿してみると、驚いたことに自宅の鍵が開いたのである! 彼女は家に入り、掃除をし、夕食を準備して夫の帰りを待ったのであった。
夫がモスクから帰宅すると、家の鍵が開いており、屋外キッチンで火が燃えているのを見てがくぜんとした。彼は、近所の誰かが妻を手伝ってドアをこじ開けたか、錠前を壊したのではないかと思い込み激怒した。ところが、ドアと錠前を調べてみても、そこには何も異常がなかった。彼は妻に、どうやって家に入ったのかと問い詰めると、妻は魚の腹から出てきた鍵の不思議な話を夫に伝えた。すると夫は、驚きのあまり黙り込んでしまった。
夫は、この不思議な出来事について一日中深く考え、次の日の晩、妻に翌朝一緒に教会に行きたいと告げたのである。彼は日曜礼拝に出席し、礼拝が終わると、牧師と個人的に話がしたいと申し出た。彼は家の鍵にまつわる驚くべき出来事のことを語り、「私はキリスト教の神に仕えたいと思います。この神こそが、誰も知らないことを知り、誰にもできないことを行う力を持つお方であると、私は今、深く確信しています」と述べた。
こうして夫はイエス・キリストに人生をささげたのである。神は、夫が罪から離れてキリストに従うようにと祈った妻の切実な祈りに、誠実にお応えくださったのだ。
ハレルヤ! 私たちの神は、今も聖書の時代と変わらず、生きて働いておられる! 私たちも愛する家族、親族、友人たちのためにたゆまず祈ろうではないか。その名を「不思議」と呼ばれる主は、今も驚くべき御業をなされるのだから。
西アフリカで、身内から迫害を受けている改宗キリスト者のために祈ろう。この妻に起きたような偉大な奇跡の御業が、かたくなな夫の目を開いたように、多くの人々の心の目が開き、人々をキリストに立ち返らせるように祈っていただきたい。
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