しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(1ペテロ2:9)
この聖句の中には恵みのことばが書かれています。まず「選ばれた種族」ということばがあります。これを個人に当てはめると「選ばれた人」と取ることができます。それから「王である祭司」。さらに「聖なる国民」は個人に当てはめると「聖なる人」となり、「神の所有とされた民」も「神の所有とされた人」と読むことができます。
なぜ私たちがこのような人となったのでしょうか。またエクレシアとなり、共同体となったのでしょうか。それは続きの聖句にある通り、福音を宣べ伝えるためです。これについては、「福音」の章ですでに学びました。
今回は「王と祭司」について学んでいきましょう。前提として、王も祭司も油注ぎがあり、神の霊が注がれています。そして、私たちも神に出会ったときに、神の御霊が息吹かれました。ですから、神は私たちが王として、祭司としての務めを果たすことができるように、あらかじめ準備を整えてくださっています。
では、王とは具体的に何をするのでしょうか。またどのような責任があるのでしょうか。同様に司祭についても学ぶ必要があります。
まず、祭司から見ていきます。旧約の時代、祭司の中でも最高位となる大祭司の仕事で最も重要なのは、年に一度、神の民のすべての罪を贖(あがな)うための祭儀でした。贖罪のための祭儀を執り行う役目です。
旧約時代における大祭司の具体的な働きについては、ここでは深く取り上げませんが、新約時代、大祭司として来られたイエス・キリストがそれを成し遂げてくださいました。
しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。(ヘブル9:11、12)
この永遠の贖いをしてくださったことにより、信仰を与えられた私たちも、御霊により祭司として神に仕えることができるようになりました。
まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。(同14節)
私たちはこのおかげで、生涯神に仕える者とされ、礼拝をおささげすることができるようになりました。イエス・キリストなる、罪を取り除く神の小羊のいけにえがなければ、私たちは神に近づくことすら絶対にできなかったのです。本当に感謝に尽くしがたい主の献身を褒めたたえます。
旧約の時代も新約の時代も、祭司職に共通していえる大切な仕事は、祭儀による神と人との贖罪と和解のための働きです。その中の一つの仕事として、旧約の時代は年に一度、大祭司が大贖罪のいけにえをもって、至聖所の中に入って行きました。新約の今は、先ほど見たようにイエス・キリストがただ一度十字架でささげられた血潮によって大贖罪を成し遂げたので、罪のためのいけにえは無用の時代になりました。
このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。・・・しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、・・・聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。(ヘブル10:10、12、14)
これにより、信じる信仰には次のことが成就しています。
「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」これらのことが赦(ゆる)されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。(同17、18節)
なんというすばらしい恵みのみことばでしょうか。小羊イエスがささげられた罪のためのいのちの代価によって、信仰が与えられた者の罪は、神に告白することにより神の記憶から消し去ってくださることになったのです。審判者である神がすべての罪と不法を赦免し、解放してくださいました。
神の偉大な愛の赦しを受けて喜びましょう。今の時代は、こうした契約の中に置かれています。大祭司の務めは大贖罪の務めであり、イエス・キリストがご自身をただ一度ささげて成就されました。それを受けて、今度は私たちが主から祭司としての務めをするように召されています。
具体的な祭司の務めは、次のように書いてあります。
それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。(ローマ15:16)
「神の福音をもって祭司の務めを果たす」とあります。福音については「福音」の章ですでに学びました。祭司は、神と人との間に贖罪と和解をもたらす働きをすると先ほどお伝えしましたが、パウロは異邦人のために立てられた祭司でした。また、ペテロはユダヤ人のために立てられた祭司でした(参考:ガラテヤ2:9)。
ですから私たちは、それぞれに与えられている人間関係の中で、祭司としての務めを果たしていくことになるでしょう。それとともに主から直接啓示を受けて、宣教師のように外の世界に遣わされることもあるでしょう。
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。(2コリント5:18〜20)
これが祭司の働きの中で重要な点でしょう。人々にイエス・キリストの十字架と復活を宣べ伝えていく。それはすなわち、全能の父なる神が、すでに神の愛と赦しを人々に対して公示されていることに加えて、自身も体験したことを証しし、それによって人々を神との和解に招くことです。私たちは闇の中で苦しんでいる人々を、呪いの世界から祝福された光の世界に招くキリストの使節なのです。
旧約の祭司の働きから、それ以外の働きも学びましょう。祭司の働く場所である聖所の中には「香の壇」と「備えのパン」と「燭台」が配置されていました。これを新約の時代である今の私たちの生活に適用すると、香の壇は、「祈り」であり、備えのパンは「主イエスのみことば・いのちのパン」です。そして、燭台は「聖霊の油と火」となります。
ですから、私たちは日々祈ること、みことばを学び行うこと、そして聖霊の油で満たされ、その聖なる炎で燃やされていることが必要なのです。
次に、祭司は聖所から出ると、各種のいけにえを祭壇にささげる仕事がありました。それとともに大庭の賛美もありました。これを今の時代に適用したのが、次の聖句です。
ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。(ヘブル13:15、16)
このように聖所から出た祭司は、賛美のいけにえ、つまり神を褒めたたえるくちびるの果実をささげ、善を行い、持ち物を人々に分け与える生活がいけにえになるわけです。ですから新約の時代、祭司の務めは宗教儀式ではなく、生活の中で真の礼拝者としてキリストの愛をかぐわせることなのです。私たちもキリストにあって行ってまいりましょう。
もう一つ大切な祭司の務めがあります。それは、神のみことばをよく学んで、王とその民を教育することです。
彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行うことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。(申命記17:18〜20)
旧約の時代、祭司や預言者たちは、王が神のみこころに沿って国を治めていくように神のことばを伝え、戒め、教育をしたのです。神は愛をもって、国を治めていくことを望んでおられます。
ですから、一生の間、神のみおしえを学び続けることは、神を恐れ、神の愛の律法に従い、王の心が同胞の上に高ぶることがなく、神の命令からそれることがないためなのです。王も祭司も民も、末永く幸せであるための教えなのです。
では、王の治め方について聖書はどのように教えているでしょうか。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」(マタイ20:25〜28)
王の王であられるイエス・キリストが、このように教えてくださっています。そして模範を見せてくださいました。
主イエスは地上に来られ、神のみことばを自身が守り行い、それを弟子たちに教え続けました。そして、大祭司として十字架のいけにえを全うされました。聖句に記されている通り、多くの人のいのちを贖うための代価として、ご自身を私たちに与えること自体が、王の王の働きだったのです。
ですから、私たちは王の王に倣い、王家の者として人々に仕えていくのです。異邦人、つまりこの世の人のような治め方ではなく、へりくだって、人々に神の愛をもって諭し、治めていくのです。
いわゆるサーバントリーダー、仕えるしもべという姿が、神の国の王としての地上での姿なのです。
神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創世記1:26〜28)
神は創世の初め、ご自身のかたちとして神に似せて人をお造りになりました。そして、私たち人類にこの地上のすべてを支配するようにお命じになりました。神に似せられて造られた私たちが、神との愛をもってこの地上を治めることを望まれたのです。
これが最初のご計画で、その状態は「非常に良かった」のです。
神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。(同31節)
この「非常に良かった」地上の支配権が人に与えられました。ところが、残念なことにその権利を悪魔に奪われてしまったのです。その結果、この地上は大変苦しい、苦悩の世界になってしまいました。
しかし、神はこの世界を再び回復するために、主イエス・キリストにより人々を召されているのです。選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民によって、闇の世界を光の世界に回復させようと決められたのです。
それが王であり、祭司である私たちの仕事です。
彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」(黙示録5:9、10)
これが、私たちに与えられている使命です。創世の初めに神に似せて造られた人間が、神の愛をもって地球のすべてを支配せよというのが、今も変わらない御父なる神の御声であり、私たちキリスト者に与えられた使命なのです。
以上のみことばにより、王や祭司が単に儀式宗教の執行人ではないことを理解してもらいたいと思います。
私たちは、闇の世界から光の世界に召してくださった方を体験しながら、神のことばを宣べ伝えて、この地上を神の王国として回復していく神の民なのです。そして、そのことのために王であり、祭司が立てられているのです。
王の王であられる主イエス・キリストにお仕えし、職務を全うしようではありませんか。
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