【ローマ=ENI・CJC】500年前、「免償」はマルティン・ルターと教皇の対立の根本にあったが、今では教会一致に貢献するとして、バチカン(ローマ教皇庁)キリスト教一致推進評議会議長のヴァルター・カスパー枢機卿が3月7日、機関紙ロッセルバトレ・ロマノで、正しく理解すれば「免償」はもはや信仰の障害にはならない、と指摘した。
カトリックの教義では、教会が与える「免償」は、通常個人の善行や特別な敬虔に対して、煉獄の時を免除するというもの。これがプロテスタント側からすれば、カトリック信仰の最も問題な一つと考えられて来た。それに対し枢機卿は、むしろ悔い改めた罪人に教会を通して示される神の憐れみなのだ、と言う。
「カトリック教会が今も免償を行っていることにプロテスタント側がいらだっていることは理解できる」と枢機卿。しかし「今日カトリックの歴史学者は、中世に免償の乱用があったことは認めている」と指摘した。
カスパー枢機卿の発言は、2008年6月からの1年間と定められた「パウロ年」の間、ローマのサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ大聖堂に巡礼する信者に、有限の罰の全免償を与えられるとの教令を内赦院を通じ教皇ベネディクト十六世が発表したことに関連している。
枢機卿は、16世紀には「免償」が現金引き換えで与えられるという乱用ぶりで、それが教会改革を図るマルティン・ルターの主要な理由であった、と指摘した。ルターは教会改革を求めた95カ条の提題を1517年10月31日、ウィッテンベルク城教会の扉に貼り出し、論議を呼び掛けたが、それが「宗教改革」にまでつながることになった。
しかし枢機卿は、カトリック教会がトリエント公会議(1545〜1563)で「根本的に免償の実施を改革し、誤解を取り除いた」と言う。
枢機卿は、自ら議長を務める「キリスト教一致推進評議会」が、ルーテル派、改革派の神学者と2001年にシンポジウムを開催した際に、免償についての現代のカトリック教会の理解を説明したことを指摘、「今日、免償はもう実際には16世紀にあったものではない」と主張した。
1967年には、当時の教皇パウロ六世が免償の真実の意義を説明しており、これらは、すべての人間が救済(イエス・キリストを通してのみもたらされる)を必要としていることを示すものだ、と枢機卿は述べている。