1907年のリバイバルによって、平壌は宣教師たちの間で「東洋のエルサレム」と呼ばれるようになった。それは、この時代に注がれた素晴らしい霊的覚醒が、初代教会を彷彿とさせる聖霊の働きと力の現れであったからだ。地上のキリスト教会を誕生させたペンテコステの日のように、1月の平壌のキリスト教会に圧倒的な聖霊の力と臨在が下った。その日は、間違いなく朝鮮における神の教会の誕生の日であった。そのリバイバルは国中のキリスト教会全体を席巻し、あっという間に5万人もの改宗者がその霊的再生の影響下に入るまでになった。(第1回から読む)
リバイバルは彼らに罪の深さの何たるかを知らしめ、彼らをして罪に対する恐怖と嫌悪感を抱かせた。ペンテコステは、罪の告白と悔い改め、そしてイエス・キリストへの信仰こそが人を罪から立ち返らせる神の唯一の方法であるという福音の絶大な価値を個人的に体験させた。それは、罪の束縛から解放し、全てを征服するあらがいがたいキリストの力を彼らに示したのだ。これによって、国中の教会あるいは個人は、キリストがいかに事実であり現実の存在であるのかを知らしめられたのである。罪に対する悔い改めと大声での祈りは、このリバイバルの特徴的な徴候の一つであった。その結果、多くの改宗者が生まれ、教会員が増えたのである。
1909年にメソジスト派の宣教師が書いた報告書によると、1884年に朝鮮半島でプロテスタント宣教が始まって以来、わずか25年という短い期間のうちに信者の数は25万人に膨れ上がった。これは、最初のプロテスタント宣教師のヘンリー・アペンゼラーとH・G・アンダーウッドが足を踏み入れて以来、昼夜を問わず1時間に平均1人以上の改宗者が起こされた計算になる。この成長の勢いは259人の外国人宣教師によって率いられ、1927人の韓国人牧師や助手たちによって支えられた。教会は週に2つのペースで設立され、1909年には1日に1つの割合で地域教会が設立され、記録によれば、この時、全国には1493教会があったという。これらの教会は、完全な異教からの改宗者で構成されたのだ。(続く)
■ 韓国の宗教人口
プロテスタント 35・3%
カトリック 9・2%
仏教 23・7%
儒教 2・7%
イスラム 0・3%
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