朝鮮に伝わったプロテスタント信仰に大躍進をもたらしたのは、1907年の平壌リバイバルだ。このリバイバルは、当時の朝鮮半島が置かれていた国際情勢を抜きにしては理解できない。(第1回から読む)
当時の世界は、覇権的な帝国主義が台頭し、国際情勢は極めて不安定なものとなっていた。東アジアにおける覇権の争奪は、日清と日露戦争(1905年)で勝利を収めた日本が優位に進めていた。1895年に日本が清との戦いに勝利すると、清の影響下を離れた李氏朝鮮は1897年に大韓帝国を樹立した。しかし1910年、日本は朝鮮を併合し、それ以降は日本が敗戦を喫する1945年まで、朝鮮は独立国としての立場を失ったのだ。1907年の有名なリバイバルは、このような亡国の危機の狭間で起きたのである。
20世紀初頭の世界は政治的な国際情勢にとどまらず、ウェールズ(1904〜05)やアズサ(1906)などで目覚ましい聖霊の傾注によるリバイバルが発生しており、霊的な世界情勢にもただならぬことが起きていた。そして聖霊の火は、プロテスタント宣教が口火を切って30年にも満たない曙の朝鮮半島にも降ったのである。
このリバイバルでは、新設された朝鮮長老教会の最初の牧師の一人として按手を受けた吉善宙(キル・ソンジュ)が中心的な役割を果たした。プロテスタントに改宗する前、吉は仙道(道教の一派)の修行に深く没頭していた。しかし国家存亡の危機の時代に入ると、吉は個人の内面にしか関心を示さない仙道の霊性に失望し、仙道で国は救えないと、次第に疑問を持つようになった。失望した吉は、人々に希望を与え、亡国の運命から国を救うことのできる別の宗教を探し求めたのである。
当時、視力を失いつつあった吉は、ある日キリスト教徒の友人から、こう尋ねられた。「君は天の神をお父さんと呼んで祈ることができるかい?」吉はこれに対して「どうして人間ごときが偉大な神をお父さんなどと呼ぶことができるだろう」と答えた。しかし3日後、吉が祈っていると、彼は不思議な声が3回も彼の名を呼ぶのを聞いた。吉は恐れて平伏し「私を愛してくださる父なる神よ、どうか私の罪を赦(ゆる)し、私の命を救ってください!」と叫んだ。このように不思議な方法で改宗した吉は熱心なキリスト教徒になり、教会の長老として、朝鮮民族主義の指導者になったのだ。
平壌リバイバルは、吉が牧会する長大峴(ちょうだいげん)教会に訪れた。口火を切ったのは、吉がヨシュア記7:18を引用して「私はアカンの罪を犯した者です」と叫び、教会員に自分の罪を公に告白したことから始まった。すると何百人もの人々が吉の悔い改めに続いて、次々に自分の罪を告白して悔い改め、赦しを乞う列に加わったのだ。リバイバルの波が中国や満州にも広がり、吉らは国中で説教をした。後にこの運動は政治的な色彩も帯び、次第に朝鮮の民族主義と結び付くようになった。吉は、日本からの独立を求める1919年の3・1独立運動の主要な指導者の一人となったのである。(続く)
■ 韓国の宗教人口
プロテスタント 35・3%
カトリック 9・2%
仏教 23・7%
儒教 2・7%
イスラム 0・3%
◇