1880年代のプロテスタント教会の始まりは、初期のカトリック教会の時代と非常に酷似しており、それは外国人宣教師によってもたらされたものではなく、外国でプロテスタント信仰を持った朝鮮人の働きが大きかった。(第1回から読む)
朝鮮プロテスタントの黎明期には、少なくとも2つの源流があったように見える。その一つが、日本で信仰を持った李樹廷(イ・スジョン)だ。1882年に来日して86年まで日本で学んでいた李樹廷は、明治期のプロテスタントのキリスト教に触れて洗礼を受けた。日本で信仰を深めた彼は、米国に宛てて、故郷の朝鮮に宣教師を派遣してほしいと要請したのである。それに応じて、メソジスト派のヘンリー・アペンゼラーと長老派のH・G・アンダーウッドが派遣された。
朝鮮半島におけるプロテスタント宣教最初期の宣教師であった彼らは、1885年の仁川上陸を果たす前の数カ月間を横浜で過ごした。それは当時日本にいた李樹廷から朝鮮語を学ぶためだった。彼らは、李が翻訳出版した四福音書と使徒行伝の朝鮮語聖書を使い、日本で朝鮮語を学んだのである。
一方、朝鮮半島におけるプロテスタントのもう一つの源流は、現在の北朝鮮と中国の国境地域の義州を発祥とするものだ。ここで信仰を持った若い朝鮮人信者たちは、2人のスコットランド人宣教師に朝鮮語を教え、聖書を朝鮮語に翻訳するのを助けた。そのような朝鮮人の若者たちの中に、最初の朝鮮人プロテスタント伝道者の一人となった徐相崙(ソ・サンリュン)がいた。
彼は13歳で両親を亡くし、義州と満州で高麗人参の商いをしていた。ところが彼は病気になってしまい、スコットランド人宣教師のジョン・マッキンタイアの手配でアイルランド長老教会宣教病院を紹介された。そこで彼はジョン・ハンター医師の治療を受けたのだ。その後、徐相崙はマッキンタイアの伝道によってキリスト教に興味を持つようになり、朝鮮語新約聖書の翻訳をしたジョン・ロス宣教師から洗礼を受けたのである。
1882年10月、徐相崙は国内で伝道するために義州を経て、ソウルに来て伝道し、多くの改宗者を得た。83年にソレに下り、84年に定期的な日曜礼拝を開き、朝鮮人が建てた最初のプロテスタント教会であるソレ教会を創立した。その共同体は現在、韓国のプロテスタントの「ゆりかご」と見なされており、彼らの伝道のポリシーである「自給、自治、自伝」を象徴するものとなっている。
徐相崙ら朝鮮人たちの伝道によって、西洋の宣教師らが到着する前に、朝鮮の霊的土壌はすでに耕されていたようだ。そのことは、当時の宣教師が書いた次の言葉にも見て取れる。
「種はまかれ、畑はすでに色づいており、それは収穫を待っていました」(続く)
■ 韓国の宗教人口
プロテスタント 35・3%
カトリック 9・2%
仏教 23・7%
儒教 2・7%
イスラム 0・3%
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