それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。 イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか、またあなたがたに我慢ができようか。あなたの子をここに連れてきなさい」。(ルカ9:40、41)
神様は私たちにご自身の働きを任せようとされています(参照・ルカ9:1〜6)。病人を癒やす働きを委ねられていたにもかかわらず、弟子たちはその役割を果たすことができませんでした。主はそのために怒りを覚えながらも忍耐され、悪魔に取りつかれた男性を直接癒やされました。
神様から委ねられた役割を果たせなくするものは何でしょうか。山が動かされるのを妨げるものは何でしょうか。人からされたひどいことを根に持ったままでいると、私たちはこの恵みを体験できなくなります(参照・マルコ11:22~25)。
人に対して感謝する心を選択し(参照・1テサロニケ5:16〜18)、満ちあふれるほどの信頼を持って接すること(参照・1コリント13:7)が大切です。主は不信仰な弟子たちに見切りをつけて手放すのではなく、最後まで共に歩み続けられました。
また、人からの拒絶を受け止めることも大切です。キリストでさえ、その弟子であったペテロから拒絶されました(参照・マタイ26:69~75)。比較的身近で、信頼していた人であればあるほど、その痛みは大きいでしょう。主は、拒絶されることを知っていたユダをも、最善を信じて弟子として任命されました。この大きな神様の愛は、私たちを通しても現されるものです。
愛は長い間苦しみ、優しいのです(参照・1コリント13:4)。傷んだ心を自分で何とかしようとするのではなく、主の前にへりくだり、苦しみの真実を受け入れることで、キリストの安息を体験しましょう。人から無礼なことをされたり、侮辱されたりしたとき、相手を憎しみ続けるか、その憎しみを手放すか、どちらかの選択肢を選ぶことになります。その憎しみを手放し、尊敬を受け取りましょう(参照・箴言19:11)。憎しみは、私たちにとって不要な荷物以外の何物でもないのです(参照・へブル12:1~2)。
今日も私たちを通して、山を動かすような素晴らしい神様の働きがなされると信じ、期待しましょう。そのためにも、主の愛をもって人に接しましょう。
GOD BLESS YOU!
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