ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。 イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。(ルカ8:22~25)
キリストは嵐が襲ってきても、そのような出来事には影響されずに、寝続けました。起き上がると、御力により、嵐をも静めました。私たちはどうでしょうか。ひどいことをされ、関わりたくない人間関係の中で、この箇所の弟子たちのように、慌てふためいて、落ち着きを失うでしょうか。もしくは、キリストの御言葉を選択し続け、安息の中で歩み続けるでしょうか。私たちの敵は、人ではなく悪魔です(参照・エペソ6:12)。
神様の恵みを頂くことの妨げとなるのは、私たちのプライドです(参照・ヤコブ4:6)。人に対して感謝の心を選択し(参照・1テサロニケ5:16〜18)、満ちあふれるほどの信頼を持って接すること(参照・1コリント13:7)を妨害するのは、私たちのプライドです。考えが御言葉と反対の方向に進む習慣が身に付いているのであれば、御言葉を選択し続ける習慣を身に付けることが大切です。それによって、私たちは安息を体験できるのです。
今まで受け入れにくかった御言葉を受け入れ、選択し、考えるとき、私たちの心の中でブレイクスルーが起こります。言動にも変化が現れ、新しいことを体験します(参照・イザヤ43:19)。神様は私たちに新しい役割と責任を与えられるのです(参照・1コリント10:13)。
今日も、私たちの周囲で起きている嵐に巻き込まれることなく、御言葉を選択し、歩み続けましょう。私たちにとって嵐が起きているということは、神様の恵みを、ブレイクスルーを体験するチャンスでもあるのです。そしてキリストのように、私たちにとってその嵐はもう嵐ではなくなります。キリストが与えられた権威の下に収まり、もうそれに圧倒されることはないのです。
GOD BLESS YOU!
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