ジャスティンとパトリックは、古くからの親友だ。2人はわずか36時間違いで生まれ、山あり谷ありの人生を分かち合いながら、事実上一緒に育ってきた。
悲しいことに、ジャスティンは進行性の神経筋疾患によって徐々に運動機能が奪われており、簡単な仕事さえもできなくなってしまった。このような障害の進行にもかかわらず、2012年の春、2人はスペインのカミーノ・デ・サンティアゴ(聖ヤコブ巡礼の道)を歩きたいと決心した。
ジャスティンの病状が、スペイン北部を横断する困難な巡礼を途方もない挑戦に変えることは分かっていた。ジャスティンがそのことをパトリックに話すと、彼はただ「俺が押してやる」と答えた。
この2人の壮大な巡礼の旅は、本や映画にもなっている。「俺が押してやる(I’ll push you)」とパトリックがジャスティンを励ました言葉は、2016年制作のドキュメンタリー映画のタイトルにもなった。映画ではスペイン北部の美しくも困難な小路と、ジャスティンとパトリックの無私の兄弟愛が描かれている。
しかし、見ていて本当に魅力的なのは、彼らそれぞれの人格的成長である。パトリックは強い意志を持った仕事人だが、時がたつにつれ、自分一人では世界の重荷を背負い切れないことを理解するようになる。ジャスティンが、迫り来る死と、他者に頼らなければならない自分を受け入れるようになる姿は、胸を打つとしか言いようがない。
映画全体が、忍耐、希望、愛というキリスト教のメッセージで満たされているのだ。
カミノ・デ・サンティアゴには、神を求める巡礼者を歓迎する長い歴史があり、それは今も変わらない。大概巡礼する旅人たちは、そこで自分に向き合い、驚くような方法で援助や励ましを受ける。たとえ短期間であっても、巡礼者たちの間には目に見える形で共同体意識が芽生えるのである。
このような瞬間を目にするとき、これこそが教会の意図していたものだと気付かされる。つまり、教会のあるべき姿の一つの側面は、神に向かう道を旅する多様な人々の集まりであり、その道中で互いに助け合い、背中を押し合うようなものなのだと実感せずにはいられない。
聖書は言う。「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(2コリント12:9)
ある意味、信仰者の人生は巡礼者の歩みだ。そして、それは天の故郷に至るまで続く。神は弱さや欠けのあるわれわれのような者をあえて選び、われわれが互いに助け合い、補い合うことによって、互いの間にある愛が真実なものであることが確かめられるようにされた。それによって、神がわれわれのうちにいますことを人々が認めるのである。
そのように考えると、私たちは自分の弱さや欠けを大いに喜び、誇らしいものとして受け止めることができるのではないだろうか。今日も巡礼者の助け合い、愛し合う姿を通して、いよいよ人々がキリストへと導かれるように祈っていただきたい。
■ スペインの宗教人口
カトリック 77・8%
プロテスタント 1・8%
英国教会 0・2%
イスラム 2・4%
無神論 19・5%
ユダヤ教 0・7%
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