中東では、キリストを信じた新しい信者が自分の家族から絶縁され、迫害されることがある。最近2人の兄弟がキリストを信じたことを家族に知られ、家を出て身を隠さなければならなくなった。
2人の兄弟は約1年前にイエス・キリストへの信仰に目覚めた。両親が30年前に見た夢がきっかけだった。ところが、両親自身は信仰に至らなかったのだ。
ある日、兄は、母親が病気だから急いで帰宅するようにという連絡を受けた。彼は車を飛ばして急いで家に向かった。しかし到着すると、父親と兄、従兄弟たちが彼を待ち構えていた。兄弟は彼らの改宗を秘密にしていたが、家で彼らの聖書が家族に見つかってしまったのだ。
家に入った途端、兄はこれが罠だとすぐに気が付いた。父親が彼の聖書を掲げて「これはお前の聖書か」と尋ねた。彼はこの瞬間、決断を迫られた。イエス・キリストを否定するべきか、それとも自分の聖書だと認め、信仰を明らかにすべきか。
彼は主キリストを否定する代わりに、イエスを信じて信者になったことを家族に告げた。家族は、彼に向かって怒鳴り声を上げ、冒涜(ぼうとく)的な言葉を吐き、彼に殴りかかってきた。彼は応戦しようとしたが、多勢に無勢で力及ばなかった。
打ちのめされ、絶望感とともに床に倒れていると、何とそこに、信仰を隠していたもう一人の弟がバッタリ帰宅した。事態を察知した弟は奇跡的にも、兄を打ちのめしていた3人の男たちをなぎ倒して兄に叫んだ。「逃げろ! 家から出るんだ!」
兄はドアの外に逃げ出した。シャツは引き裂かれ、目は腫れ上がっていたが、兄は逃げ出し、無事に逃れることができた。身内の男たちは兄を捜したが、見つからなかった。そこで彼らは弟に目をつけた。彼らは弟の頭に銃を突きつけて言った。「お前の兄を3日以内に連れて来い。さもなくば、命はないものと思え!」
兄を連れ戻すために解放された弟は、夜中に兄と落ち合い別の国へ逃れた。イスラム社会において、信仰を告白することは命懸けだ。しかも愛する身内から、命を狙われるほどの迫害を受ける心の痛みはいかばかりだろう。
兄弟はその日、持ち物も家族も全てを失ったが、何もない彼らは、キリストを所有している絶大な恵みに喜んだ。
それにしても、神的な夢を見た両親本人が信者にならなかったばかりか、積極的な迫害者になろうとは、何という皮肉、何という悲劇だろう。彼らの両親は「夢」という特殊な方法で主が臨んでくださったのにもかかわらず、それに応答ぜず30年もたってしまったのだ。
「神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(2コリント6:2)と聖書が言うように、信仰の決断はいつでも「今」なのだ。
家を離れた兄弟の必要と安全が確保され、彼らの信仰が力強く成長するように祈ろう。いつの日か、この2人が、両親が失った「救いの機会」を再び彼らにもたらすことができるように祈ろう。
イスラム教の国では一般的に、聖書を持っているだけで厳しい迫害にさらされる。しばしば「世界宣教の最後の砦」と例えられるイスラム世界が、大いなる救いの日の訪れを経験するように祈っていただきたい。