1. ハムレットの覚悟
“Readiness is all.”(覚悟が全てだ)――シェークスピアの小説『ハムレット』の中の有名な一文である。
直訳は「準備が全てだ」であるが、「すでに心の準備が整った。さあ、やるぞ!」という不退転の覚悟を決めることを意味する。ハムレットは優柔不断な青年の代名詞のようにいわれているが、この言葉にあるように、「熟慮した上で覚悟して断行する勇敢な人物である」と評される場合もある。(河合祥一郎訳『ハムレット』NHK出版)
物事が思うようにいかない場合の多くは、自分の優柔不断に原因がある。結果がどうなるのかの不安があるため、決めかねていると、次第に泥沼に陥っていく。そんなときこそ、「結果がどうなろうと、私はこうするんだ!」と最悪の結果を受け入れる覚悟をすることである。
そうすれば迷うことなく前進することができる。そして多くの場合、望んだ結果を得ることができる。そうでなくても、他人や状況のせいにせずに、自分の責任において結果を受け入れ、新しく前進することができる。
2. 裁判への覚悟
3人の弁護士から断られた方から訴訟受任の依頼を受けたことがある。事情を聞いてみると、その方の言うことは真実だと思われたが、裁判で勝訴するには証拠があまりにも不十分だった。「不利なことは分かっています。私は負けることも覚悟しています。でも、裁判をしなければ私は一生後悔しますので、どうか引き受けていただけませんか」とお願いされた。しかし、もろもろの事情により、代理人になることを丁重にお断りせざるを得なかった。
「分かりました。では、別の弁護士を探してお願いしてみます」。断られることを予期していたのか、そう言ってその方は憤慨もせずに帰っていった。3年ほどたったある日、その方が裁判で勝訴したことを知った。その方の覚悟が判決に影響を与えたとしか考えられない。
3. 十字架への覚悟
イエスは十字架にかかる前に、ゲツセマネという場所で悲しみもだえ始められ、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」とひれ伏して祈った。「わが父よ。できますことなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」。「わが父よ、どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください」と3度も祈られた。イエスがこう祈るときに、汗が血のしずくのように地に落ちた。(マタイ26:36~44、ルカ22:44)
そしてついに、イエスは父なる神のみこころに従う決断をし、肉的、精神的、霊的な苦しみと死を受け入れ、十字架にかかる覚悟をした。こう覚悟した後、敢然として十字架への道をまっすぐに進まれた。イエスのこの覚悟がなければ、人類の救いはなかったのである。
「その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」(使徒21:13)
「このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい」(1ペテロ4:1)
「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」(箴言3:5、6)
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