片柳弘史氏のお名前だけは、ご著書を通して以前から存じ上げていた。特に『こころの深呼吸 気づきと癒しの言葉366』は、娘の高校(キリスト教系)の待合室で手に取ったときから気になっていた。そして、片柳氏のご著書の中で初めて購入したのが、本書『何を信じて生きるのか』である。
読み終えて、思わずうなってしまった。わずか170ページ足らずの中に、キリスト教のエッセンス、現代にバージョンアップされた福音の調べ、そしてキリスト教ビギナーが抱くであろう疑問、そしてその答え、全てが詰まっていたのである。これはまごうことなき「名著」である。この本に出会えたことは、私の人生にとって、そして牧師人生にとって大きな収穫であった。
片柳氏は、カトリックの神父である。そのため、本書でもカトリック的な教理がお目見えしているが、そのあたりを気にせず読むなら、プロテスタント信者であっても十分理解できるし、大いに感動するだろう。そもそも「カトリック」だの「プロテスタント」だのと、違いにこだわるのはキリスト教内部の人間だけであって、未信者(日本の場合は99%の人々)にとっては、全く意味のない差異であろう。
例えるなら、一般的なラーメン好きにとって、味噌ラーメンと味噌チャーシューメンの違いなど、味がおいしければどちらでもいいはず(神聖なキリスト教をラーメンに例えるなど、罰当たりかもしれないが・・・)。そういった意味で、一人でも多くの人に読んでもらいたい一冊である。
本書の構成は、コロナ禍で満足に大学生活を送れていない大学生と、その彼が通うことになる教会の神父(片柳氏)との間で交わされる会話が中心となっている。きっかけは、思うような大学生活が送れない主人公が、ツイッターに投稿された聖書の言葉に目を留めたことにある。彼は単なる興味本位で、聖書の言葉を投稿した片柳氏に会いに行く。そして教会のミサ(礼拝ではない)に参加するのであった。
その後、彼と片柳氏との問答が大きく4章立てとなっている。さらに細かく節が6つずつある。各節で積み上げられた議論が一つの章となり、それらを踏まえて最後に大学生の独白で本書は締められている。
以前ヒットしたアドラー心理学の入門書『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎、古賀史建著)のスタイルを踏襲しているといえるだろう。
本書の白眉は、キリスト教ビギナーの大学生に対し、神父である片柳氏が神学用語をほとんど用いないで、キリスト教の教理や「福音」を的確に伝えている点にある。例えば、第4章「信じる心を育てる」の1節は、「祈りとは」という項目である。その中で、大学生と片柳氏はこんなやりとりをする(129~130ページ)。
学生 おっしゃりたいことはわかりましたが、実際にはちょっと難しいだろうと思います。(後略)
神父 (前略)神は愛ですから、神の声に耳を傾けるといってもよいでしょう。わたしたちは、そのことを「祈る」と呼んでいます。
学生 祈りですか。また苦手な言葉だな。キリスト教徒はよく「あなたのために祈っていますよ」などといいますが、それは結局、何もしないということじゃありませんか。
神父 厳しいご指摘ですね。祈るというと、神に何かをお願いする、困っている人のために神の助けを願うといったイメージがあると思いますが、祈りはそれだけではないのです。先ほどいったように、祈りとは、自分自身の心と向かい合い、心の声に耳を傾けるということ。自分自身の心の奥深くに住んでおられる神と向かい合い、神と対話することでもあるのです。(後略)
学生 いずれにしても、それはあくまで心の中のことであって、現実には何も変化が起こらないでしょう。結局のところ、祈ったところで何も変わらないのです。
神父 一つだけ変わるものがあります。それは自分自身です。祈ることによって、わたしたちは欲望の声に左右されることなく、いつも愛の声に従ってまっすぐ生きられるようになります。(後略)
学生 なるほど、心が愛に向かってまっすぐ整えられるということでしょうか。
こんなやりとりが、4章分、170ページ近く続くことになる。これは現代版の「教理問答」であり、「信仰問答」である。しかも、キリスト教用語で締めくくることなく、面白い例えをふんだんに用いながら、きちんとその中身を説明している。さらに、一度読めば忘れられないフレーズで満ちているため、実際の福音宣教にも用いることができる。
加えて、この大学生(役)の質問や返しが、単に会話を進ませるためのブリッジではなく、本当にこういった疑問や問いを抱いた人と片柳氏は向かい合ってきたことがあるのだろうと推察できる。それくらいリアリティーに満ちている。
本書は、大学生や青年など、ある程度世の中の道理やシステムを知り、その中で葛藤している若者たちと向き合う人たちに最適である。そしてもちろん、リアル大学生にとっても、宗教が単なる「シューキョー(ちょっとイっちゃってるヤバい考え方)」ではなく、人が真剣に生きるために必要な「生き方の指針・知恵」を与えてくれるものであることが分かるだろう。
何度も読み返すなら、そして牧師や伝道師など福音を伝える立場にある者なら、自分だったらどう回答するか、とシミュレーションしたくなることだろう。
■ 片柳弘史著『何を信じて生きるのか』(PHP研究所、2022年7月)
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