2月7日、大阪城ホールで行われた殉教者・ユスト高山右近の列福式に、カトリック宇部教会からの巡礼団26名と一緒に参加してきました。列福式の司式は、ローマ教皇代理のアンジェロ・アマート枢機卿。アジア各国から、また日本中から集まった司教、司祭合わせて300人の共同司式による荘厳な式となりました。当日、会場に集まった人々の数は、1万人を超えたそうです。
没後402年を経て、これだけたくさんの人々が日本中から、また世界中から1人の人物を顕彰するために集まったという事実に驚いたというのが、正直な感想です。右近の生涯が、それほどまでに真実で、輝いていたということでしょう。その光は、数百年を経た今も輝きを失わず、人々を引き寄せているのです。
右近が輝かせた光、それは福音の光であり、イエス・キリストによってもたらされた希望の光に他なりません。神様は、高山右近という1人の侍の生涯を通して、戦国乱世の闇の中に愛の光を燦然(さんぜん)と輝かせたのです。先の見えない不安と、絶望の闇の中に住んでいた戦国時代の人々は、その光に次々と引き寄せられてゆきました。その光が、時を越えて今、現代社会に生きる私たちの心も引き寄せているのです。
右近とその父、ダリオ高山友照は、自分たちの領地に「神の国」を実現することを目指しました。領主も農民もなく、全ての人が神の子、兄弟姉妹として生きることができる世界を、戦国の世に実現しようとしたのです。高山親子は、「ミゼリコルディア(いつくしみ)の組」と呼ばれる、現代でいうところのボランティア団体のような教会の組織に参加し、領地内の貧民救済に当たりました。家族のいない貧しい人が死んだ時には、領主親子がその人の棺おけを担いで運んだといわれています。そのような親子の姿を見て、領民たちはこぞってキリスト教を信じました。高山親子を通して現れた、神様の愛を信じたと言ってもいいでしょう。
その姿は、ガリラヤの地に現れた、イエス・キリストの姿を映し出しているように思います。ローマ帝国の重税にあえぎ、同じユダヤの民からも差別を受けていたガリラヤの人々が、身分や職業によって人を分け隔てせず、惜しみなく人々に奉仕するイエスの愛に次々と引き寄せられていったように、戦国時代の闇の中に生きていた人々も、高山親子を通して輝いた神様の愛の光に引き寄せられていったのでしょう。
私がもう1つ興味深く思うのは、右近がイエズス会の創立者、聖イグナチオ・デ・ロヨラの考案した「霊操」と呼ばれる祈りの方法に深く影響を受けていたことです。「霊操」とは、簡単に言えば、欲望や執着によって乱れた人間の心を、神様に向けてまっすぐに整えてゆくための祈りのプログラムです。右近は生涯のうちに2度、「霊操」を受け、日々の生活の中でも「霊操」の心を生きた人でした。
聖イグナチオはもともと軍人でしたから、「霊操」には主君への忠誠や、イエスの陣営と悪魔の陣営の戦いといったモチーフが現れてきます。戦国武将であった右近が、聖イグナチオの「霊操」に心を引かれたのは、ある意味で自然なことに思われます。欧州の軍人と日本の武士の魂が、洋の東西を越えて、神様の愛の中で響き合ったのです。
「右近に倣って、現代社会に神様の愛の光を輝かせてゆきたい。共にイエスの陣営で戦いたい」、そう強く思わされた今回の列福式でした。今回の式典を、一過性のお祝いに終わらせることなく、これからも日々の生活の中で右近の模範に倣ってゆきたいと思います。
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