昔「目撃者」というハリソン・フォード主演の映画があって、夢中になって見た記憶があります。フォード演じる刑事が、仲間の刑事の殺人をスラム街の少年の目撃証言で知り、命狙われ逃亡生活をする物語でした。目撃者の重要性を痛感させられた映画でした。
聖書がいう重要な「目撃者」とは、神の御業の目撃者です。信仰の父アブラハムも、約束の民を生み出した孫のヤコブも、神の御業を目撃したことで確信を得て、人生を神に委ね通しました。
1. 奮い立たせる
ですから、すでにこれらのことを知っており、現に持っている真理に堅く立っているあなたがたであるとはいえ、私はいつもこれらのことを、あなたがたに思い起こさせようとするのです。私が地上の幕屋にいる間は、これらのことを思い起こさせることによって、あなたがたを奮い立たせることを、私のなすべきことと思っています。(2ペテロ1:12、13)
12節の意味は「神がいのちと敬虔に関する全てのことを私たちに与え(1:3)、確かにあなたがたはそれを知っており、今、真理に堅く立っているのですが、使徒ペテロとしていのちと敬虔に関する全てのことをいつも思い起こさせたいのです」ということです。
13節は「使徒ペテロの霊が肉体という幕屋にいる間は、いのちと敬虔に関する全てのことをあなたがたに思い起こさせ、奮い立たせることを使命だと思っています」ということです。
「あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい」(1:10)とあるように、私たちがいのちと敬虔に関する全てのことを知るのは、神の民としての召しと、奉仕者としての選びを私たちが確信し、信仰の情熱を奮い立たせるためです。
2. 思い起こす
それは、私たちの主イエス・キリストも、私にはっきりお示しになったとおり、私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知っているからです。また、私の去った後に、あなたがたがいつでもこれらのことを思い起こせるよう、私は努めたいのです。(2ペテロ1:14、15)
14節は「あなたたちを奮い立たせる理由は、主イエス・キリストが啓示したように、使徒ペテロが主の働きを終えて、殉教の死によって肉体という幕屋を脱ぎ捨てる日が迫っているのを知っているからです」という、与えられた使命と信仰による死の覚悟です。
15節は「使徒ペテロが死んだ後に、あなたがたがいつでもいのちと敬虔に関する全てのことを思い起こせるよう、私は努めたいのです」という、死に至るまで使命を果たそうとする忠実さです。
主イエス・キリストは、ペテロが主の使命を果たして殉教の死を遂げることを啓示されました。ペテロは最後の使命として、信者たちが思い起こすため、いのちと敬虔に関する全てのことを手紙に書き残したのです。
3. 目撃者
私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。(2ペテロ1:16)
16節は「私たち使徒が聖書によって、主イエス・キリストの奇跡の力と、主イエス・キリストが処女マリヤから生まれた初臨の来臨、次にまた来る再臨の来臨があることをあなたがたに知らせたとき、私たちの作り話に従ったのではありません。私たち使徒は、キリストの力と来臨に関する威光の目撃者なのですから」という目撃証言なのです。
3章にある、キリストが再臨して最後の審判をするという預言です。ノアの時代は水で世が裁かれましたが、来るべきキリストの再臨の時代は火で裁かれます。
そして新天新地が、花嫁を迎えに来る花婿のように天から下ってくる日の到来です。
使徒たちは、世の宗教家たちがするように、自分たちで考え出した作り話を人々に知らせたのではありません。イエスによる多くの力ある業と、イエスがマリヤから生まれた神の子であることの目撃者であり、復活のキリストの目撃者、主権者キリストの輝きである威光の目撃者なのです。
まとめ
聖書は、主イエス・キリストのことを私たちに知らせ、信仰生活で思い起こさせ、信仰の情熱を奮い立たせ、試練を乗り越えさせます。そのようにして私たちは「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを豊かに加えられるのです」(1:11)。
主イエス・キリストが救い主であることの目撃者である使徒たちが、その目撃証言を聖書に書き残したのは、永遠の御国に入る福音の恵みを、神に召され選ばれた私たちに増し加え、私たちも主権者キリストの威光の目撃者になるためだったのです。
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