1. 努力し加える
こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。(2ペテロ1:5〜7)
5節前半の「こういうわけですから」とは、4節を加味すると「神の約束によって、欲望がもたらす滅びから救われ、キリストの性質に似た者とされるわけですから」ということです。
5節後半からは、あらゆる努力をして加えるべきものが列挙されています。
①創造主を信じる「信仰」には「徳」(優れた力)を
「イエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです』」(マルコ9:23)
「信仰」でどんなことでもできるという約束があるので、努力して「徳」(優れた力)を加えることが必要なのです。
②「徳」(優れた力)にはキリストに関する「知識」を
「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです」(エペソ4:12、13)
キリストに召された聖徒たちは、奉仕の働きで訓練されて「徳」を加え、キリストの教会を建て上げます。教会員は、聖書からキリストに関する「知識」を加え、キリストの似姿にされていきます。
③キリストに関する「知識」には「自制」を
「闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです」(1コリント9:25)
私たちの闘技は、キリストの敵である悪魔や悪霊どもとの戦いであり、キリストに関する「知識」を加え、さらに欲望を「自制」することで試練に打ち勝ち、朽ちない天国の王冠を受けるのです。
④「自制」には「忍耐」を
「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル10:36)
あらゆる欲望を「自制」し、信仰で「忍耐」し続けるなら、約束の朽ちない冠を受けます。
⑤「忍耐」には「敬虔」(良い影響力)を
「敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」(1テモテ6:6)
「律法を重んじる敬虔な人で・・・評判の良いアナニヤという人が、私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい』と言いました。すると・・・見えるようになりました」(使徒22:12、13)
信仰で「忍耐」し続け、聖書の教えを重んじて「敬虔」(良い影響力)を加えるなら、祈りが聞かれ、大きな利益を受けます。
⑥「敬虔」(良い影響力)には「兄弟愛」を
「あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい」(1ペテロ3:8)
聖書の教えに従って「敬虔」であり、謙遜により「兄弟愛」を加えるなら、皆で一致することができます。
⑦「兄弟愛」にはキリストの「愛」を
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです」(1ヨハネ4:9)
神の「愛」は、キリストにより示されました。
「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように」(エペソ3:19)
キリストの「愛」を知ることで、キリストに似ていくのです。
「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)
神の「愛」は、キリストの「愛」です。聖霊によってキリスト者のうちにその「愛」が注がれ、満たされていきます。
謙遜による「兄弟愛」で一致し、死に至るまで忠実だった、人知を超えた御子キリストの「愛」が聖霊によって注がれるならば、私たちは神の栄光と力に満たされていきます。
2. 役に立ち、実を結ぶ
これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。(2ペテロ1:8、9)
私たちがイエス・キリストを信じ、ますます神の栄光と力を増し加えるならば、皆がキリストの似姿にされ、神のご計画に役に立つ者、信仰の実を結ぶ者になります。
信仰の努力をせず、神の栄光と力を加えない者は、目先の利益にとらわれて世の真実を見ることもせず、イエスの血で自分の罪がきよめられたことを忘れているのです。
もしキリスト者が、信仰の努力によって神の栄光と力を豊かに加えるならば、必ず神のご計画に役に立つ者となり、信仰の実を結び、キリストの似姿にされていきます。
もし、自分は信仰成長していないと自覚するならば、目先の利益を求めて世の真実に目を向けていなかったことを悔い改めればよいのです。
3. 召され、選ばれ
ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを豊かに加えられるのです。(1ペテロ1:10、11)
10節の意味は、「あなたがたは、信仰の努力で神のご計画に役立つ者とされ、信仰の実を結ぶ者とされたのですから、ますます熱心に、神からの召しと選びを確実なものとしなさい。そうすれば、決して倒れることなどありません」ということです。
神の民として召され、奉仕者に選ばれた私たちは、神のご計画に役立ち、信仰の実を結ぶ者とされていきます。そのようにして私たちは、救い主イエス・キリストの御国に入る祝福を豊かに増し加えられるのです。
まとめ
イエス・キリストを信じる信仰で、あらゆる努力をして神の栄光と力を加えるなら、ますます豊かにされ、神の役に立つ者、信仰の実を結ぶ者とされます。
このように、聖書に書かれた神の性質を加えるなら、キリストの似姿とされ、ますます熱心になり、神の民としての召しと、奉仕者としての選びが確実なものとなります。そのようにして私たちは、御国に入る恵みを豊かに増し加えられるのです。
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