日本基督教団隠退教師の徳永五郎(とくなが・ごろう)牧師が1月16日、脳梗塞のため東京都内の高齢者施設で死去した。92歳だった。葬儀は21日、同教団城西教会(東京都渋谷区)で行われた。
1930年山口市生まれ。50年東京大学入学。学生時代に、無教会主義の指導者でもあった同大の矢内原忠雄総長から信仰を教えられる。52年、同教団西片町教会で、後に同教団総会議長となり、同教団の戦争責任告白を発表する鈴木正久牧師から受洗。54年、同大卒業後に東京神学大学に編入学。58年、同大修士課程修了。
鳴海伝道所(現・鳴海教会、名古屋市)で伝道師、牧師をしている間、名古屋キリスト者平和の会委員長となり、在日コリアンの人権差別問題に取り組むようになる。ドイツ留学後、68年から2002年までの34年間、城西教会の牧師を務める。その後、02年から08まで、相知(おうち)伝道所(佐賀県唐津市)の牧師を務めた。
同教団では社会委員長、宣教委員、日韓連帯特別委員などを歴任。大阪万博(1970年)のキリスト教館出展を巡る「万博闘争」では、出展反対の教職者グループに参加し、「社会派」の立場で指導的な役割を担った。また、在日外国人や沖縄、野宿者の人権問題などに深く関わり、日本キリスト教協議会(NCC)では在日外国人の人権委員長などを務めた。
著書に『その人をその人として―天皇制・朝鮮人・沖縄・キリスト教』。共著に『拒否としての印章―東京教区闘争の新たな展開のために』。