今年2022年は、世界史的に見ても後々記憶に残る年であったに違いない。なんといっても2月24日のロシアによるウクライナ侵攻だ。21世紀に大国同士が全面的に戦火を交える事態になろうとは、いったい誰が想像しただろう。
フランスの歴史学者エマニュエル・トッド氏によれば、第3次世界大戦はすでに始まっているということだ。2月のロシアの暴発は、台湾海峡を挟む中台情勢や、38度線を挟む朝鮮半島情勢にも影響を及ぼしている。これを全くの空想だと切り捨てることは誰にもできない。
良くも悪くも、かつて「世界の警察」と呼ばれた米国は、もはや二正面で世界の大規模紛争に対峙できるほどのミリタリーパワーを擁してはいないのだ。一つの場所に米軍のミリタリーパワーが割かれる状況は、必然的に世界を不安定化させることになる。大国一強の米国時代の終焉は、ますます世界に混沌の影を落とす。
一方で米国は、軍事、経済、政治の分野のみならず、霊的分野でも一強的旗手の役割を果たしてきたが、そこにもかげりが見え始めている。今年7月に発表されたギャラップ調査によると、米国に特徴的な「文字通りに聖書を信じる信仰観」は、この40年余りで半減した。
1980年には、米国民の40%が「聖書は文字通り神の言葉だ」と信じていたが、今やその割合は、米国人の20%に低迷している(とはいえ、それでもこの数値は他国に比べれば驚異的ではある)。聖書観を巡る戦いは、とりわけジェンダーの分野で激しく、今後も目が離せない。
しかし、慰めの神は、メキシコ、ウルグアイ、タイ、ネパール、中国、イラン、ウズベキスタンなどでリバイバルの働きを休まれない。紛争前のウクライナの牧師の言葉が印象的に思い出される。「たとえ戦争になっても覚悟はできています。神はその混乱を宣教のために用いられるでしょう」
混迷はますます深くなるが、光の子どもらしく、昼の間に、光のあるうちに、われわれのタスクを成し遂げようではないか。過ぐる1年、祈り手の兄姉には心から感謝を申し上げたい。