ウクライナ南部に要衝のヘルソン市がある。11月9日、ロシア軍が撤退し8カ月続いた占領が終わった。占領下にあった9月のヘルソンで、ウクライナ人牧師が経験した証しを紹介したい。
アレクサンダー牧師は、占領下のへルソンに6カ月間滞在し、9月に妻と10人の子どもたちと共に脱出を果たした。彼は「ロシア軍に占領されたとき、どうしたらいいか迷いましたが、教会の礼拝を続けることにしました」と述べ、当時を振り返る。いわゆる極右のネオナチを警戒するロシア軍は、何度も彼の家を捜索し、9月6日、牧師は妻と子どもたちの前で逮捕連行された。
「私は6日間独房に入れられました。その後、7人の房に移されましたが、ベッドは3つだけでした。ロシア軍は私を尋問し、――皮肉にも私のオフィスにはイスラエル国旗が飾ってあるのですが――私がネオナチである手がかりを見つけようとしました。しかし内心私が気がかりだったのは、ネオナチの嫌疑よりも自分のスマホです。教会の建設には多くの米国人の献金が寄せられていましたので、取調官は私を米国の工作員だと非難しました。私のスマホには、私が自軍に協力している証拠となる写真がたくさん入っていたのです。私は、彼らが私のスマホを見ないように祈り、主は彼らの目を閉ざされたのです」
尋問の合間、牧師は同房者に自分の信仰を伝えた。「妻が小さな聖書を忍ばせてくれたのです。それで、私は他の男たちに証しをしました。それから彼らと10日間一緒に過ごしましたが、7日目には全員がイエス・キリストを主と信じたのです。その時私は、自分が独房にいる理由が分かりました。彼らの救いのために、主が私を遣わしたのです」
彼と家族が再会する可能性は不透明だった。彼の尋問中、司令官は「もし俺に権限があるなら、今すぐお前ら全員を撃ち殺して、ゴミ捨て場に放り込むところだ!」と荒々しく怒鳴っていたのだ。
しかし、15日の勾留生活に奇跡が起きた。「会ったこともない正教会の司祭が司令官の所に来て、私の解放を頼んだのです。司令官は、私の車を預かるという条件で同意しました。教会にミニバンが残っていたので、そこに家族全員とけがをした近所の人を乗せて、ウクライナ側の前線に向かいました。検問を全て通過するのに4日間もかかりました。どれほど祈ったことでしょう」
今、アレクサンダー牧師はキエフの教会を手伝いながら、早く故郷に戻れるように祈っている。「神様は私たちを養ってくださっているので、まず神の国を求め、他の全てが与えられるのを待っています」
戦況が長引き、核攻撃の可能性も飛び交うウクライナ情勢だが、このような奇跡と救霊の業にひとかたならぬ慰めを覚える。人々の霊肉の救いと、1日も早い停戦と平和のために祈っていただきたい。
■ ウクライナの宗教人口
正教 61・2%
プロテスタント 5・8%
カトリック 10・1%
無神論 19・5%