ネットでお店を検索して、食事をしに行ったことがあるでしょうか。そこに星が付けられているので、その星の数で良い店か、ハズレの店かを判断すると思います。行ってみて、予想通りだったら星3つを付け、予想を裏切られたら星1つ、良い意味で想像を裏切られたら星5つを付けるのではないでしょうか。
それと同じ感覚で教会を見る人がいたとしたら、どうでしょう。A教会はここがいいけど、ここが気に入らない。B教会はここがいいのに、残念だ。C教会は・・・。
教会は、人を満足させるために存在しているのではありません。完全な教会はありませんし、もし仮に完全な教会があったとしても、自分を満足させてくれることを求めてその教会に行った途端、その教会は不完全になります。不完全な人間が加わったからです。
神様は「教会はキリストの花嫁である」と語られました。もし「あなたは大好きですが、あなたの奥さんは苦手で嫌いです」と言われたら、どうでしょうか。良い気持ちにはならないと思います。教会をあちこち行き巡って、教会の良し悪しを言う人がいるとしたら、「イエス様、私はあなたを愛していますが、あなたの奥さんである教会は苦手で嫌いです」と言っているに等しいのです。
教会は完全な人の集まりではなく、不完全な人が集まって、励まし合い、助け合い、共に成長していく神の家族です。もし、教会を採点し、教会の悪口を言う人がいたとしたら、自分自身が教会であることを忘れている人です。
信仰と恵みによって救われて、キリストの花嫁としていただいたことを忘れないで、教会の足りないところをとりなして祈り、自らが担う人でありたいですね。
「キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです」(コロサイ1:24)
◇