勇気と希望を失わずに戦争という嵐を乗り切ったオランダ人医師の家族の物語。いかなる状況の中でも、人が希望と隣人への思いやりを失わない限り、道が開けるということを教えてくれるこの作品は、戦火や圧制に苦しむ多くの人々の胸に希望の火をともし続けるであろう。
作者について
ドラ・ド・ヨング(1911〜2003)は、オランダのアムステルダムで生まれ、若い頃から作家として優れた作品を書く一方で、新聞記者としても活躍した。この頃、彼女はその胸に社会的正義を培ったように思われる。
オランダにナチスが侵攻する数日前に、彼女はオランダを離れ、北アフリカのモロッコに逃れる。生活を支えるために幼い頃習ったバレエの教師をし、その後米国に渡り、戦後市民権を獲得した。しかし、オランダに残った家族は生き延びることができなかった。第2次世界大戦中の経験や、祖国オランダで取材した作品を幾つか発表し、いずれも好評を得た。1947年の『畑地は世界』で、アムステルダム市から文学賞を与えられている。またミステリー文学も手がけ、『時のコマ』でエドガー・アラン・ポー賞を受賞している。
あらすじ
戦争が起こる前まで、医師ファン・オールトとその家族は、オランダの静かな村の「レヴェル・ランド」と呼ばれる屋敷で平和に暮らしていた。6人の子どものお父さんであるファンは、誰にも親切な医師で、急患があれば何時だろうと、どんなに遠くても往診に出かけた。
そんなお父さんと優しいお母さんの元で育った長女のミープは、いずれお父さんの手助けをするつもりでアムステルダムの社会事業学校に行っていたが、オールト家に6人目の子である三女アンネが生まれたとき、お母さんの手助けをするために帰ってきた。
長男ヤープは音楽好きで、ピアノの練習に余念がない。演奏会を開くのが彼の夢だった。
次男のヤンは勉強嫌いで、皆を心配させていたが、ある夜、患者の診療に出かけるお父さんに付き添い、手助けをするうち、突然自分も将来は医者になろうと決心する。お父さんと一緒にその患者を病院に入院させるために運んでいったとき、そこの待合室でヴェルナーというユダヤ人の少年と会う。彼はナチスの迫害を逃れ、祖父と共にオランダに亡命してきたのだった。行き場のない彼は、オールト家に引き取られる。
次女ルトは感受性が強いはにかみ屋だったが、ヤンが校長から退学処分を受けた際には、出かけていってとりなしをする兄思いの女の子だった。
三男ピムはやんちゃでいたずらな子だが、皆から愛されている。すぐ上の姉ルトが大好きだ。
ミープは一度アムステルダムに戻ったが、ボーイフレンドのマールテンと共に「レヴェル・ランド」にやってくる。家族は大歓迎だった。その年のクリスマスは素晴らしかった。サンタクロースがやってきて、ヴェルナーと赤ん坊のアンネを祝福。その後、一家そろってアムステルダムの祖母の家に泊まりに行き、聖夜にはろうそくの光の中で聖書を読み、賛美歌を歌った。翌日のクリスマスは、この町で一番古い教会に行って礼拝を守ったのだった。
それから間もなく、ルトは重い病気にかかり、海辺で療養することになった。その時、アムステルダムからミープが電話してきて、ドイツ人が侵攻するかもしれないから、ルトをよそに行かせては駄目だと両親に言う。
果たしてそれから間もなく、戦争になった。ミープの許婚者マールテンは召集され、彼女は傷病兵の救助活動を始める。お父さんはヴェルナーをナチスの手から守るために米国へ亡命させる決心をする。やがて市内に爆弾が投下され、負傷者は「レヴェル・ランド」に運び込まれる。オールト家の子どもたちは、自分たちの寝室を負傷兵のために明け渡した。勇敢にもミープは、負傷しながらもルトを見つけて連れ戻し、すぐにヴェルナーを米国に亡命させるために出て行くのだった。
5月4日にはロッテルダムが空爆を受け、子どもを含む3万人もの市民が死んだ。そんな時、お母さんは子どもたちを集めて、強く生きていかなくてはならないと教えるのだった。
*
戦争が終わり、マールテンと結婚したミープは息子ロビーを連れて「レヴェル・ランド」に戻ってきていた。ルトは戦死したヤンを思い、打ちひしがれていた。戦争はオールト家の子どもたちにも深い傷跡を残した。彼女はやりきれない気持ちから、ロビーをいじめたり、ピムとけんかしたりするのだった。また、ピムはウサギを罠(わな)にかけて殺し、それを売って小遣い稼ぎをしていた。しかし、お母さんは子どもたちに、すべてを戦争のせいだと言うのをやめようと諭すのだった。
そんなある日。ルトとピムが散歩していると、軍用トラックが止まり、中から米兵が降りた。それは米国に亡命したヴェルナーだった。3人はそのままオールト家に戻り、家族から大歓迎を受ける。ヴェルナーは自分が安く買うことができた食料品を、オールト家の人々に分け与えて思うのだった。「かつてはこの一家から食物を与えられ、命を助けられた自分が、今度は彼らに自分の食料を与える立場になろうとは」
やがて、オールト家の人々の生活も少しずつ元に戻っていった。お父さんは患者のために働き、マールテンは市役所に勤めるようになった。ヤープは演奏会に向けて毎日ピアノの練習をしている。そんなある日、ルトとヴェルナーはロビーを連れてアルムネに行く。3人はナチスの手によって廃墟と化した市内を歩くうちに、石の上に座ってスケッチをしている画家と出会う。それは、ヴェルナーの昔の学友クラウスだった。ナチスがフランスに侵攻したとき、両親は強制収容所で死に、妹は行方不明のままだという。その後画家となった彼は、イヴという看護師と結婚した。
ルトは勇気を出して自分のスケッチをクラウスに見せた。すると彼は、ルトに才能があることを認め、お父さんに彼女に絵を習わせることを勧めた。お父さんはクラウスにルトの指導を頼み、代わりに彼の妻イヴに自分の診療の助手をしてもらうよう頼むのだった。こうして皆一緒に暮らせるようになった。
ピムももうウサギを罠にかけて殺すようなことをしなくなった。彼は突然サッカーに興味を持つようになったのである。彼はナチスの強制収容所から解放された体育の教師を訪ね、相談した。その結果、運動場を借りることができ、彼はチームを作った。そして、このサッカーチームは少しずつ力を付け始めた。
8月15日はヤープの演奏会の日だった。一家は全員そろって演奏会場のあるスヘーヴェニンゲンに出発した。演奏の始まる少し前、ルトは雨の中を少し歩きたくなったので、一人雨に濡れながら海辺を歩き始めた。そこへ向こうから一人の男性がやってくる。駐屯地に帰っていたヴェルナーだった。2人はこの場所での再会を喜び、結ばれる。一方、ヤープは見事にピアノ演奏を成功させ、自分の夢を果たした。一家が「レヴェル・ランド」に戻ってきたとき、ヴェルナー宛ての電報が来ていた。それは、司令部からで、強制収容所にいたクラウスの妹が見つかったという知らせだった。
見どころ
ヤンはきゅうに、はっきりとさとりました――じぶんは、どうしても医者にならなければいけないんだと。(中略)あの納屋で、おとうさんの手つだいをしていたとき、――(中略)そのときヤンはきゅうに、おとうさんのようになりたい、この世の中で、これ以上、じぶんがなりたいと思うものはないんだ、ということがわかったのでした。(前・2 ヤン、40〜41ページ)
その晩、みんなはそろって、大きな奥の部屋の一つの隅に、ロウソクのやわらかな光をあびて、すわっていました。(中略)そこで、おとうさんは、毎年よむので、もうみんなが覚えている文句をよみました。(中略)・・・御使はいった、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたの救主がお生まれになった。(中略)」・・・「アーメン」と、おばあさまがしずかにいいました。(前・9 クリスマス、165〜166ページ)
おかあさんは、みんなに説きました。「あたしたちみんなが、あたしたちの信念を強くもっていましょう。(中略)あたしたちは、きょう以後、正しいものは生きのこり、悪は滅びるという信念を、強くもっていなければならないんですもの。」(前・13 戦争、267ページ)
「おきき。」 おかあさんは、たいへんきっぱりといいました。「(中略)もうこれからは、あなたがた、じぶんでやることには、ちゃんとじぶんで責任をおとりなさい。(中略)そして、わたしたちがなにをしようと、それは戦争のせいじゃなくって、わたしたちがするからするのです。そのときどきに、何かわけがあってするので、戦争のせいじゃありません。」(後・1 戦争のあとで、21ページ)
それなんだ、と、ルトは思いました。この子どもたちは、遊戯をしてあそぶ年ごろなのです。けれども、戦争ちゅうにほんものの危険を見てきたいまでは、遊戯なんか、たいくつで、バカバカしいことに思えるのです。(中略)みんな、戦争のせいなのです。(後・2 意外なこと、34ページ)
ルトは泣いていました。そして泣いているところを、みんなに見られたくなかったのです。走って走って、とうとう息が切れてしまって、ルトは、小さなモミの木の根もとに身を投げ出しました。(中略)どういうものか、心の底からありがたい気もちになれました。(後・8 幸福のみなもと、151〜152ページ)
ヤープは、みごとに演奏しました。出だしの音をきいたときから、もうみんなには、ヤープがすっかり落ちついてしまったということがわかりました。(中略)いまはじめて、ルトは、ヤンの姿をありありと心のなかに描きながら、平静な気もちでかれのことを考えることができました。(中略)これで、ルトは、じぶんの苦しみに勝ったのです・・・(後・12 すばらしき日、214〜216ページ)
■ ドラ・ド・ヨング著、吉野源三郎訳『あらしの前』『あらしのあと』(岩波書店 / 岩波少年文庫、2008年)
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。