こうしてイースターの礼拝も終わり、集まった人々が互いにあいさつを交わし、しばし懇談の時を持った後帰っていってから、ユリウス・ルップはシュミット家の者たちを送っていくために会堂を出た。パウパア広場を横切ろうとしたとき、その目に映ったのは拳銃を手にし、広場を取り囲んでいる政府の警官の姿だった。近くで見ている者に聞いてみると、社会主義の過激派分子がこの近くに潜伏しているのだという。
「このところ政府は左翼の人間の行動に敏感になっていますからね。おじいさん、気を付けてくださいよ」。コンラードは祖父に忠告した。ユリウス・ルップは笑うと、彼の肩を叩いた。
事件はその後起きた。向こうから15、6歳くらいの少年が駆けてくると、いきなりユリウス・ルップに抱きついた。その後ろから2、3人の警官が追ってきた。
「助けておくれよ。おれ、手紙を届けにきただけだからさ」。少年はべそをかいて言った。体が小刻みに震えていた。ユリウス・ルップは少年を後ろにかばいながら、できるだけ穏やかに警官に尋ねた。「この子がどんな悪さをしたんですかな?」
「われわれは今、社会主義者たちの集会を取り締まっているんですがね」。一人が言った。「ベルリンで活動している社会主義者リープクネヒトの配下の者がこのケーニヒスベルクに潜伏しているという報告があったので見張っているところです」。「やつらはどうやら、秘密文書のやりとりをしているようなんですな」と、別の者も言った。
「この少年を問い詰めたところ、手紙を持っていることが分かったので逮捕しようとした途端、こいつは警官の一人に石を投げつけてけがを負わせ、そのまま逃げたんですよ」
「助けてくれよう。おれ、本当に手紙を預かっただけだからよう」。少年は泣き出し、ユリウス・ルップの腰にますます強くしがみついてきた。彼は警官に少年を許してやってほしいと懇願した。――とその時、恐慌をきたした少年は隙を見て駆け出した。
「待て! 止まらないと撃つぞ!」一人の警官が銃をかまえて叫び、続いて発砲した。それより早く、ユリウス・ルップは両手を広げて行く手を遮った。銃弾は彼の心臓に命中し、血が流れ出して見る見る道路を染めていった。
「おじいさん!」そばにいたケーテは夢中で駆け寄り、抱き起こした。「おじいさん、しっかりして!」彼の分厚い眼鏡は飛んでしまって、チョッキの胸からは血が滝のように吹き出していた。シュミットは急いで救急車を呼ぼうとしたが、もはや手遅れであることが分かった。
そのとき、ユリウス・ルップはケーテを見つめ、土色になった唇を動かした。彼女は屈み込むと、その耳を彼の口に付けた。
「・・・ケーテ、私の愛する子。才能は義務だといつか・・・言ったな。どうかおまえの才能を・・・惨めな労働者を救うために・・・使うんだよ。・・・私の最後の・・・頼みだ」。「分かったわ、おじいさん、そうします」
ケーテは祖父のぶこつな手をしっかりと握りしめて答えた。ユリウス・ルップは、そのままこと切れた。彼の葬儀は「自由宗教派」の教会員の手により、しめやかに行われた。
ユリウス・ルップの死は、シュミット家の家族の運命を大きく変えることになった。カール・シュミットはユリウス・ルップの志を継ぐために左官屋を廃業し、「自由宗教派」の牧師になった。そして一家はそろってケーニヒス街からプリンツェン街に引っ越し、そこに教会を作った。コンラードはベルリンに帰ったが、大学を卒業すると、祖父の死を無駄にしないために「社会民主党」の中央機関紙「フォアヴェルツ紙」の編集部で働くことになった。これは「社会民主党」の議員カール・ループクネヒトの口利きだった。
そんなある日、母のケーテ・ループが健康を害し、医者の勧めで温泉に行くことになったので、ケーテと妹リースベストが付き添っていった。彼女たちは帰りにエルクナー駅で降り、姉ユリイが嫁いだホーフェリヒター家を訪問した。ユリイは祖父の非業の死を心から悲しんでいた。
一同がユリウス・ルップをしのんで思い出話をしていると、隣に住むゲルハルト・ハウプトマンという作家修業中の青年が遊びに来た。このときは気付かなかったが、このハウプトマンとの出会いこそが将来ケーテに大きな影響を及ぼすのである。
*
<あとがき>
ユリウス・ルップは、素晴らしい説教、優れた聖書註解、そして何よりもその温かな人格故に多くの人々から慕われていました。しかし、悲劇は突然やってきました。彼は日頃モットーにしていた通り、最も小さな兄弟の一人を助けるために、犠牲の死を遂げたのでした。
彼は誰よりも愛していた孫のケーテに遺言を残します。「才能は神から託された義務だということを忘れるな」と。この言葉を胸に、彼女は画家としての険しい道を歩む決意をするのです。
ユリウス・ルップの死は、家族それぞれが歩む道をも変えてしまいました。父カール・シュミットは義父の後を継いで牧師となり、兄コンラードは最下層の人々と寄り添うために社会主義者が作る新聞社の記者となりました。そして彼の友人である劇作家ゲルハルト・ハウプトマンとの出会いは、ケーテの版画家としての道を開くきっかけとなったのでした。
実に、一粒の種は死んで豊かな実を結ぶことになったのです。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。