1880年夏。東プロイセン(現在のドイツ)ケーニヒスベルクを流れるプレーゲル川は、今日もどんよりと濁った水を岸辺に打ちつけていた。この川には、れんがを積んだ船が頻繁に行き来しており、船が岸に着くと日雇い労働者が船からガラガラと音を立ててれんがを積み下ろし、荷車に載せて運んでいく。
岸辺では、近所の主婦たちが洗濯をしながらおしゃべりをしていた。その日もいつものように船体が低く平たい「れんが船」が岸辺に近づいてきたが、洗濯物を川の水ですすいでいた一人が、突然大声を上げて一角を指差した。船のスクリューに何やら黒い物体が引っかかっており、どうやら人間の死体のようだったからである。やがて船が着くと、川岸にいた労働者たちが一斉に駆け寄り、その黒い物体をスクリューから取り除いた。
それは14、5歳くらいの少女の死体で、首には荒縄が結び付けられていた。彼らはバケツに水を汲んできて、顔や手足にかけて泥を取り除いた。やがてこの女の子の両親が駆けつけてきたが、母親はその小さな遺体を抱いて泣き崩れた。
「だから酒場なんかに働きに出すなと言ったろう!」父親はその首から荒縄を外してやりながら怒鳴りつけた。「あたしがそうさせたんじゃありませんよ。あんたが仕事をなくして毎日家でブラブラしているから、この子働きに出たんです」
そして、2人は少女の上に覆いかぶさるようにして号泣した。
この様子を眺めている群衆の中に、この子と同じくらいの年齢の少女がいた。恐ろしさに体を震わせながら、それよりも強い不思議な力に引かれるように、彼女は遺体に近づき、顔をのぞき込んだ。その子は安らかな表情をしていた。しかし、彼女の耳には死者の悲痛な叫び声が聞こえた。
(あたしたちを、どうか助けて)「いつか…きっといつか助けるわ」。彼女はつぶやいた。
そこへ死体運搬車がサイレンを鳴らして到着した。そして運搬人が降りると、子どもの死体を荷物か何かのように布でぐるぐると巻いて荷台に積み込み、またサイレンを鳴らして行ってしまった。
そのとき突然、少女は後ろから襟髪をつかんで引き戻された。近くの家の主婦だった。「子どもがこんなもの見るんじゃないよ。早く家にお帰り!」
彼女は叱りつけた。少女はのろのろと丘を上がり、道路に面した一軒の家に戻った。そこは、左官職人カール・シュミットの家だった。少女は震える足を踏みしめるようにして家に入ると、窓から目の前のプレーゲル川をぼんやりと見つめた。それはいつものように輝いてはおらず、少女の前で突然色彩を失ったかのように無表情だった。
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カール・シュミットは、ここケーニヒスベルクで腕利きの左官職人で、プレーゲル河畔に仕事場と住居を建てて住んでいた。彼は妻のケーテ・ループとの間にコンラード、ユリイ、ケーテ、リースベストという4人の子をもうけ、中流階級の暮らしをしていた。彼はもともと法律家を目指し、大学教育まで受けたのだが、あるとき突然その志を捨てて、左官職人になった。
当時のドイツはウィルヘルム2世のもとビスマルクが宰相として人民に圧政を行っていた。シュミットは、国内に住む貧困階級の者に対して横暴ぶりを発揮する高官の姿を見て、官僚になることは自分の良心に反すると考え、あっさりと司法官吏の道を捨てたのである。
彼はその後、左官職人のところに弟子入りをしてその技術を学び取り、やがて自分も左官職人として独立し、人を雇うまでになった。彼はもともと器用な人だったので、仕事は成功し、あちこちから注文が途切れることがなかった。そして家族を養うのに十分な暮らしができたのだった。
先刻、身投げした女の子の死体を見たのはこのシュミットの次女ケーテだった。彼女は父親の仕事場に行くと、くず籠の中から父が書き損じて捨てた製図用の紙を拾い、しわをのばすと、台所で拾った木炭であのかわいそうな女の子と両親の姿を描き始めた。なぜそんなことをするのかといえば、誰にもみとられずに死んでいったあの女の子がふびんでたまらず、せめて肖像画を描いてあげたくなったからである。
(かわいそうに。つらかったでしょう?)首をつろうとして死にきれずに川に身を投げたのか、あるいは死んで川に流されてきたのか分からなかったが、不幸な少女の下絵は出来上がり、彼女はそれに「ふみにじられたもの」という題を付けた。
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<あとがき>
ケーテ・コルヴィッツは、世界的に有名な版画家ですが、それ以上に社会主義者として知られています。彼女が生きた時代は、産業革命により国民が便利で豊かな生活を享受する一方で、貧困に喘ぎ、どん底生活をする者たちを数多く生み出しました。貧富の差がかつてないほど広がり、失業、家庭崩壊、自殺といった深刻な社会問題が出現した、そんな時代だったのです。
幼い頃から惨めな労働者たちの姿を目にしてきた左官職人の娘ケーテは、搾取される者たちに特別な同情を覚えていました。神様はそんな彼女に一つの使命を与えるべく、ある日投身自殺をした同じくらいの歳の少女のところへと導かれました。
ケーテは衝撃のあまり、あたりの世界が一瞬にしてモノクロの世界に変わったような体験をしました。彼女が後に描いた「ふみにじられたもの」と題する版画こそ、まさに彼女の人生の扉を開く鍵となり、その苦難に満ちた旅のスタートラインとなるのです。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。