あなたがたが行けば、安らかにおる民の所に行くでしょう。その地は広く、神はそれをあなたがたの手に賜わるのです。そこには地にあるもの一つとして欠けているものはありません。(士師記18:10)
皆さんは、リーダーシップという言葉を耳にしたとき、何を思い浮かべますか。多くの教会でサーバントリーダーシップ、人々に仕えるリーダーシップが教えられていることでしょう。しかし、このサーバントリーダーシップの本質的な目的は何でしょうか。ただ人々に仕えれば、ただ奉仕がうまくできれば、それで良いのでしょうか。
キリストがこの地上に来られたのは、仕えられるためではなく、仕えるためでした(参照・マタイ20:28)。このことを使徒たちに教え、最後には、福音を世界中に宣べ伝えることを命じました(参照・マタイ28:19)。人々に仕えることと、福音を宣べ伝えること。この2つには、どんなつながりがあるのでしょうか。ここに、キリストが私たちに教える真実があります。
リーダーシップは肩書やポジションではなく影響力
キリストが私たちに教えるリーダーシップとは、多くの使徒や弟子たちを従えることではなく、人々の必要に具体的な関わりを持ち、仕えることで、人々に影響を与えることです。そして、その人々の人生が福音によって変えられていくことです。
もしかしたら私たちは、真の成功を求めるとき、職場での昇進にだけ焦点を合わせているかもしれません。有名なヨセフの話でも、エジプトの内閣総理大臣に昇進したことばかりに焦点が当てられがちです。大切なのは、ヨセフが神様によって与えられた知恵を上司であるファラオに伝え、説得することを通して、神様のご計画が行われたことです。ヨセフは、上司であるファラオに影響を与えることで、神様のご計画をなしたのです(参照・創世記41:14〜49)。
義であるキリストが罪となられたとき、私たちは義となり、永遠の命を信仰によって受け取ることができるようになりました(参照・2コリント5:21、エペソ2:8)。キリストが人類の救いのために犠牲を払ったことを通して、人類の命が変えられたのです。これ以上影響力のあるリーダーシップはないでしょう。
旧約聖書で、地を征服するとあるのは、新約聖書の時代に当てはめると、人々に福音を宣べ伝え、その人々の人生が福音によって変えられていくことです。神様は、私たちが家庭や職場、学校、教会などで人々に影響を与えていくことをご計画されています。たとえリーダーとしての肩書が与えられていなくても、私たちは聖書の教える福音のリーダーとして、人々に影響を与えることができるのです。
つまり、私たちは今日からでも、キリストが教えるリーダーとして、人々に影響を与え始めることができるのです。私たちの置かれた場が、私たちを通して変えられていくという真のリーダーシップを、神様は期待されているのです。
GOD BLESS YOU!
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